音楽の聴き方と優しさ

独白するだけのゴリラになりたい。あと親しい友人がもっとほしい。

海外の大学院で研究している友人が一時帰国したので当時の仲間と飲んだ時に音楽の話になった。

自分は音楽をあまり聴かない。かっこつけて家でジャズを流す痛い人種だし、通勤中はラジオかNHKスペシャルとかなんか教養番組っぽいの聞いて勉強した気になっている。

音楽は、情報量という点で他の媒体(ラジオ、本、テレビ、youtubeなど)より劣っているというのが、自分が音楽を聴かない理由だ。

しかし、最近ラップに目覚めた友人や学生時代バンドをやっていた友人から言わせると音楽というのはリズムや曲調が歌詞を強化させる、深い情報量を持っているとのこと。

面白い言い分だと思う。情報量を多寡で見ず、深浅で考えたことはなかった。確かに、映画天気の子で話題になった「グランドエスケープ」の立体音響は音が深く体に入ってくるような気がしたし、オペラに行ったときも言語化できないけどなんかすごかった…

歌詞を考察してみる

とりあえず適当にJポップを聴いてみたが、正直言うと何が深いのかよくわからなかった。

いや、Jポップを馬鹿にしているわけではなく、音楽の深さを理解できるほどの感受性と教養が自分には圧倒的に不足しているからだと思う。

サビがどこなのかくらいはわかるので、歌手が強調したい部分はわかる。しかし、音楽の作り手側の視点に立てば、彼らがある制限の下で伝えたいメッセージを厳選しているのだからすべての歌詞には意味があるのだろう…よくわからないがそんな気がする。

クラシックとは異なり、歌詞のある音楽は伝えたいメッセージがはっきりしている。

だから、まずは歌詞を考察すればメロディの深さなども理解しやすくなるのかもしれないと思い、とりあえず松嶋菜々子が好きなので家政婦のミタの主題歌「やさしくなりたい」を聴くところから始めた。

地球儀を回して世界100周旅行

君がはしゃいでる まぶしい瞳で

恋人との思い出を振り返っているのだろう。地球儀を回しながらあの国に行きたい、この国に行きたいと盛り上がっている様子がわかる。

光のうしろ側 忍びよる影法師

なつかしの昨日はいま雨の中に

最初で明るい思い出について触れ、即座に暗い雰囲気を出す。「うしろ側」や「昨日」というワードはもう戻れないことを暗示しているのかもしれない。

たったの4行で明暗を表現してこの歌がただハッピーな歌ではないことをさりげなく印象付けている。

やさしくなりたい × 2

自分ばかりじゃ 虚しさばかりじゃ

自分ばかりじゃ、虚しさばかりじゃ…の後に続く言葉がないが、これはその前の「やさしくなりたい」を受けているのだと思う。

やさしくなりたいのは誰のためなのか?このやさしさは誰に向いているのか?

少なくとも自分ばかりに向いているやさしさではないことは読みとれる。

一見、他人に向けられたやさしさが結果的に自分にしか向いていないやさしさであるということがある。

こういう人間は自分ではそのことに気付かず、だから自分は優しい人間だと信じて疑わず、周囲との認識の差に首をひねるばかりだ。

自分の友人にも似たようなタイプがいる。

初対面のひと誰にでも分け隔てなく接することができ、そうかと言ってズカズカとプライベートに首を突っ込んだ質問をするわけでもない。

常にフラットな立場でものを言うので敵も少なく、常に人に囲まれている。

ところが、ひとりの人間が所有するやさしさの絶対量は日によって多少の上下はするが、基本的には有限だ。

誰にでもやさしく見える人間の本質は、「誰に対しても平等に興味がない」人間なのではないかとその友人を見ていて思ったことがある。

この歌詞はそんな彼が自身の本質に気付いた後のようだと思った。

だから、やさしくなりたいの後に続く「自分ばかりじゃ」も「虚しさばかりじゃ」もあまり違和感なく受け入れることができたが、もし友人の存在がなければこの歌詞は理解できなかっただろう。

愛なき時代に生まれたわけじゃない

キミといきたい キミを笑わせたい

愛なき時代に生まれたわけじゃない

強くなりたい やさしくなりたい

やさしいとはどういうことか

サビに対して特筆すべき箇所は歌のタイトルである「やさしくなりたい」と「強くなりたい」が並んでいる点だ。

歌の2番以降でも「強くなりたい」は「やさしくなりたい」の隣に位置している。

おそらく、やさしくなるにはやさしさだけでは足りない。

何を言っているのかと思うかもしれないが、やさしさを体現するためには強さが必要なのだと、人生のバイブルである「金色のガッシュ」に教わったので間違いない。

簡単にガッシュの説明をすると、100人の魔物が魔界の王の座を巡って戦うという王道少年漫画である。

主人公であるガッシュはある出来事をきっかけに「やさしい王様」を目指すことを決意するのだが、王を目指す途中で別の魔物に敗北してしまう。

そしてこの別の魔物はガッシュとの戦いを通して「強い王様」を目指すことになる。

ここではやさしさが強さに勝てなかったように描かれているが、そうではなく、やさしさを継続していくためには強くあらねばならぬのだ!

やさしさの出どころ

基本的な感情の中で最もエネルギーを生み出すのは怒りだが、怒り由来でやさしさを目指す人間というのはいないはずである。もしいれば是非会ってみたい。

怒りと同じくらい高いエネルギーを生む動機として挙げられるのは感謝だ。

恩返しと言ったほうがわかりやすいかもしれない。行動の動機としての恩返しは非常に面白く、その多くは他人に対する恩返しだが、時折恩返しの対象が人以外のものに向くこともある。

例えばある宗教に属す人間が熱心に布教活動を行ったり、スポーツ選手がきつい練習を活き活きとした表情でこなすのは、自分が自分らしく生きることのできる場所を与えられたことに対する恩返しで、その対象は場である

再び斉藤和義の歌詞に戻るが、「愛なき時代にうまれたわけじゃない」というのは、自分は愛に触れたことがあるという意味だ。

愛のある時代にうまれたのだから。

そして、この歌詞の中での愛はニアイコールやさしさなのだろう。

大切な人からやさしさをもらった恩返し、もしくは、やさしさを返せなかった後悔から、彼はやさしくなりたいと願っている。

なんとなくだが、この歌詞の場合は恩返しよりも後悔が動機っぽい。

というのも、歌詞の前半はどちらかというとネガティブな雰囲気を漂わせているので、ポジティブな動機としての恩返しとはちぐはぐになるからだ。

とまぁ、音楽についての造詣が浅いので結局音楽の情報としての深さを理解することは出来なかっし、これ以上書いても脱線に逃げることしかできなさそうなのでこれぐらいにしておく。

では、また。