親子関係を選びなおすということ(後編)

絶対的に帰ることができる場所

「死ぬことができなかったのは、ここで自分が死んだら、親が可哀想だからというのもあった」

些細なことで彼氏とケンカし、何もかもが嫌になったAは衝動的に荷物をまとめ、新幹線に飛び乗って泣きながら家出した実家に向かった。

何かあったとき、家族が自分の帰る場所であることにAは疑念を抱かなかった。

なんだかんだと言いながら、最寄り駅まで母親が迎えに来てくれたのだろうか?

見知らぬ土地の、明かりのない薄暗い部屋で包丁を手首に当ててから、Aは実家でも包丁こそ持たなかったが死を考えた。

死ぬことではなく、死ぬ前にやりたいことを考えた。

海外旅行に行きたかった。知らない世界に触れたかった。

「社会人として肩書持ったまま海外に行きたいなら海外青年協力隊とか受けてみたら?

あと海外子女教員だったかな、海外の日本人学校の教師になるやつとか」

悩んでいるAに対して随分とテキトーで無責任なアドバイスをした気がする。

だがAは真に受けた。海外青年協力隊の試験に応募し、見事合格!

余談だが俺は学生の時に受けて落ちた。

Aの次なる職場としての赴任先は中米のとある国だ。治安はそこそこ悪い。

俺が行ったときは某ハンバーガー店で観光客が刺される事件とか、マフィアが病院襲撃する事件とかあった。

さて、どこの馬の骨ともわからん男のもとから無事に娘が帰ってきたと思えば、今度は治安の悪い国に行くチケットを手に入れている。

いつでも最寄り駅まで迎えに来る母親の胸中が穏やかなはずがない。

形式美の如く、猛反対され、激しい口論になったようだ。

 ここまで聞いて、率直な疑問が口に出た。

「自分のやりたいことに毎回反対する親と距離を置こうとか思わないの?しんどくならない?

俺の疑問に、Aはならないと力強く断言した。

「反対されても私が諦めないことをお母さんも学んできたみたいだし、結局最後は渋々ながらも了承して応援してくれる。

なによりも私にとって家族は絶対離れない強い絆で結ばれている。何があっても帰る場所だと思う。

今、赴任先で出会った男性と婚約してこれから結婚するけど、今後彼と作る家族への愛情よりも実の家族への愛情の方が大きい

家族を選ぶということ

NASAの提唱する家族の定義では直系家族拡大家族のふたつに分類される。

もちろん、プライオリティは直系家族に置かれる。

この直系家族のなかに両親や兄弟姉妹は含まれず、配偶者・子・子の配偶者が直系家族と見なされる。

家族とは先天的に与えられた環境のなかにあるのではなく、後天的に自らが選んだ環境のなかにある、という考え方なのだと解釈している。

 たまたま最初に与えられた環境、それこそが自分にとって揺るぎないものだと信じるAに、俺は困惑せずにはいられなかった。

選択肢を与えられることもなく、有無を言わさず生まれ落とされ、親だからという理由で行動に制限をかける。

その環境が絶対的なつながりだと、どうして言えるだろうか。

しかし、子も親を選びなおすことができるのではなかろうか、とうちの妻は言う。

生きていく過程のなかで、親が与えた教育や愛情を通じ、自分の親は尊敬に足る人物だと認識して関係を築くことは、子にもできる。

Aちゃんは、親をしっかり理解することで、嫌なところも丸ごと受け入れることを選んだんじゃないの?

パートナーと構築する家庭への愛情が血縁関係の家族ほど大きくならないと思ったのは、親ほどパートナーを理解していない不安からじゃないかな。

まだ見えていない面があるし、見せていない面があるから。そういう死角は見えないから選べないでしょ?

旧帝大卒は伊達じゃねぇ……。

そう言えばうちの妻賢かった。

常々、俺はAの母親とAの関係を理解できなかった。

だが、今なら少し理解できる。

Aは親を尊敬し、尊敬できない一面にも愛着を持ち、そのうえで今の関係でいることを選びなおしたのだ。

悪く言えば歪な関係とさえ思っていたが、単純に俺の理解が矮小だった。

 最終的にAは両親を説得して中米へと赴任し、その3か月後にコロナショックであえなく帰国。

ちゃっかり現地で新しい彼氏を見つけ、彼氏に会うため今年の春に中米に飛び立ち、めでたく婚約を結んだ。

母親のショックは計り知れなかっただろう……。

この前お母さんが珍しく婚約者のことを聞いてきて、どうしたの?て逆質問したら「もう別れたかな、と思って」とか言うの。

お母さんそういうところだよね、とAは笑いながらさらりと付け足す。

うーむ、家族ってのは複雑だね。