親子関係を選びなおすということ(前編)

大学1年の夏、リュックサックに1日分の着替えと文庫本だけ詰めて東南アジアに行ったことがある。

搭乗日の5日ぐらい前に親に「ちょっと2週間くらい外国行ってくるわ」と伝えると、「毎日連絡しなさい」と返ってきた。

当時、ガラケーだったのでネット接続の方法がわからず、結局連絡できなかった。

帰国後、特になにかを言われることもなかったので、春休みにアフリカ行って2回ほどナイフ持った男に襲われたが、その後も懲りずにあっちへフラフラこっちへフラフラ。

そんな中、旅先で出会った元看護士の30代女性に「親の理解があって良かったね。うちは親が許可してくれなくて」と言われた。

親の理解?許可?
子が旅することと親になんの関係が?

小学校の同級生であるAも親の許しが出ず、学生時代海外旅行に行けなかったうちの一人だった。

海外旅行を許さない親

一言でいえば、Aは学級委員タイプだった。
実際に学級委員だった。

小学4年生の頃、給食を食べながら「赤ちゃんのとき、ひとは誰しも純粋で可愛いのに、どうして大人になると犯罪をおかすひとがいるんだろう?」と不意にAが言い出したことを憶えている。

俺が学校にゲーム機持ち込んだのを先生にチクったことは許さんけど、おもしろいこと考えるなぁ、と安易な感想を抱いた。

Aは、教師の評判や成績もよく、地域で一番学力の高い学校に進学し、有名私学卒業後は持ち前の生真面目さを活かして営業成績トップとなり、昇給。

その彼女が、無職になり外国籍のパートナーと婚約しコロナに感染し婚約指輪をアメリカに置き忘れるとは、想像さえできなかった。

 「私も海外放浪したい!」と彼女が言い出したのは二十歳に差し掛かる直前だったと記憶している。

Aは委員長のイメージとはかけ離れて行動的な面があり、やると決めたらすぐにやる!少しでも迷いがあればすぐにやめる!猪突猛進のわりにブレーキの利きがいい。

その彼女が、憧れていた海外旅行に行かなかったのは、母親の許可が出なかったからだ。

年頃の娘がひとりで異国を旅するなんて危険極まりないと考えるのは別に変な話でもない。

だが俺は、率直に言って、Aの母親は度が過ぎていたと思っている。

大学生の時、Aと適当な居酒屋で安酒を飲んで、駅から自宅までの最終バスを逃してしまったことがある。

駅から家までは約7km。酔い覚ましも兼ねて歩いて帰るか、と2人で適当に会話をしながら家に向かった。

時刻は22時半過ぎ。家まであと20分ほどの距離に差し掛かったところで、物凄い勢いの車が俺たちを追い越し、止まった。助手席側の窓が開く。

なんだ、輩か?ナイフぐらいじゃ今更びびったりしねぇぜ。
いざとなったら近くの川に飛び込んで逃げるか。

緊張を高める俺の横でAは「あ、お母さん」と言った。

果たして車に乗っていたのは授業参観や運動会で見たかけたことがあるAの母親だった。

心配で迎えにきたらしい。門限は22時らしい。
Aには迎えに行くと連絡するわけでもなく、駅から家までの道を走って探していたらしい。

すれ違うタイミングでコンビニに入っていたら、この母親はどうしていたのだろうか?

そうか。そりゃ、この母親なら海外旅行を許してくれないだろうな、と、妙に納得した。

行動力の塊、仕事を辞める

恥ずかしながら、と鼻をかきながらAが言っていたのだが、Aの大学選びも母親が下調べをして候補を挙げていたらしい。

こう書くと、まるでAに主体性がなかったように思えるが、そうではなく、Aは自分の身を案ずる親の選択に絶大な信頼を置いていたのではないか?

だから、戸惑う俺を無視して、突如迎えに来た母親と普通に会話をしながら車に乗りこんだのではなかろうか。

あの時の居心地めちゃくちゃ悪かったなー。

そんな彼女が親の反対を振り切って「刺青は俺の誓いの証だ!」と豪語する男と付き合い、別れ、

福島で野菜育てようと奮起し、諦め、自殺を考え、仕事を投げ出し、中米でスペイン語を身につけるようになる。

 Aが仕事を辞めた経緯をざっと要約してみた。

期待のルーキーとしてバリバリ働いていたAがふと冷静になって周り見渡したとき。

高額商品を買わせて数字をあげることに夢中なタイプか、良心と会社方針の間に挟まれて消耗していくタイプしか会社には残っていないことに気が付いた。

心優しい同期は山火事から逃げる動物のように会社を去り、死んだ感情が積みあがった真っ白いオフィスで生きがいの抜け殻が働いていた。

給料は良かった。けれど、お金を稼ぐ人生を生きることはしたくなかった。

期待されているなか、どんな葛藤があって会社を辞めたのかは知らない。結果としてAは会社を辞めた。そして、両親には事後報告をした。

目標なき行動の虚無

父親の反応は、ようやく娘が独り立ちして子育てが終わったと思ったのに何故!?という戸惑いだった。

母親は……父親ほどマイナスな感情を抱いているように見えなかった。

これはあくまでも俺の邪推だが、ひょっとしたら目の届く範囲にAが戻ってきたことを喜んでいたのではないかと思う。

ところが、母親の期待とは裏腹にAは南の島で出会った決意をタトゥーに変える「うえきの法則」みたいな男を追いかけて東北で暮らすと言い出した。

当然母親は大反対、Aと衝突。しかし、社会人の年齢になり貯金もあるAの行動を、親の立場という権力だけでは止めることができなかった。

勘当騒ぎすれすれになりながらもAは24歳にして初めての家出。

アルバイトで細々と生計を立てながら、決意をタトゥーに変える男の地元で暮らし始めた。

その時のAと一度電話したことがある。

「農家を営みながら、自分の畑でとれた野菜を提供するカフェとかやってみたい」

もう完全に人生の迷子だった。当時話を聞いていて、こいつヤバいと思ったね。

だって、仕事を辞めて、ただ男を追いかけていったのにまるで最初から農家になるのが夢でした、みたいなこと言うんだぜ?

案の定、キラキラモードは長く続かなかった。

人生の目標を見失い、経済的にも厳しく、ずーっと頭のなかでお金の計算をする日々

頼りにしていたはずの彼も馬車馬の如く働き、すれ違い始める。

仕事もない、やりたいこともない、見知らぬ土地に友人はいない、大好きな彼ともうまくいかない。

気付けば、包丁を手首に当てて、死ぬことも考えていた。

後編へ続く