アマゾネス、インドでマザー・テレサになる。その前にカンボジアでキャバ嬢をやる

彼女はヒマラヤに村を作りたいと言った

高校卒業以来ほとんど交流のないOと再会したのはオーストラリアでだった。5年前の話だ。

当時旅人だった自分とOが、ワーキングホリデーで有名な地に流れ着くのは当然の帰結だった。おまけにOが住むのにいい場所を知っていると言うので、お言葉に甘えて宿も同じにした。

シドニー郊外の終着駅で久しぶりに会ったOは全身からギラギラした生命力を垂れ流し、妙に刺々しく、全然日本語でコミュニケーションとる気がなかった。

「日本出てるのに日本語話さないといけないの意味わからくない?
私、わざわざ外国に来てるのに日本人同士がつるむの見てると何しにきたの?て思う」

英語以外の言語で話したら敵とか新手のアマゾネスかよお前、と思った。

当時の彼女は少しでも敵になりそうな相手には先制攻撃のように口撃していた。

敵というか、価値観が異なったり、与えられた環境で100%の努力をしない相手に対してか。

一緒にいるの普通にしんどかったので、さっさと住む場所を変えておさらばした。

あれから、多分一度も会っていないまま5年が経過した。

そのOがヒマラヤに村を作りたいと申した。

聞くところによると、現在Oは彼氏とロシア人のカップルと4人で家を借りてヒマラヤで生活しているらしい。

経緯は気になるけどちょっと意味が分からなかったので、うんうんと相槌を打って流した。

久しぶりにまともに会話するOからは、相手を叩きのめしてやろうとか、自分の凄さを見せつけてやろうというエゴが消えていた。

私は私、あなたはあなたという自然体の態度で、俺の知っているアマゾネスはそこにいなかった。

彼女はやや複雑な家庭で育ち、父親と折り合いが悪かった。20歳を過ぎても、父親の影がいつもチラついていたと自白する。

良い父親とは言えなかった男を見返すために、完璧な自分を目指し、ひとり奮起しながら海外を飛び回っていたのだとか。

ひとが自らの強さを誇示しようとすると、周りの人間すべてが敵に見える。

誇示しなければ認知されないような強さは、相手を打ち負かしたその瞬間にしか光らない。

だから強く見せ続けるには、常に戦い続けなくてはならない。

さらに悪いことに彼女が己の強さを発揮しても、見せつけてやりたい父親は違う国にいるのだ。認知されようがない。

私は私。父親は関係がない。なのに、気付けば父親の影が自分の中にある。

Oの苛立ちが募りに募った時期と並行して、旅先での景色が色褪せて見えてきた。

どこに行っても、どこかで見たような景色。同じような生活。新鮮さがない、いや、目新しさを感じるだけの新鮮さが自分から失われている。

自分の目指した道の先に、自分の欲しいものがないかもしれない、そんな考えがOの頭を過ったのだと思う。

だからだろうか、Oは一度日本に帰国し、大阪で友人とルームシェアをして過ごした期間がある。

それからカンボジアでキャバ嬢やって、なんか違うなと思ったら、インド帰りたくなったので渡印、同時にコロナ騒ぎで国境閉鎖して出れなくなっちった、とOは笑う。

いちいち情報量多いなこいつ、と俺も引き笑い。

ともあれ、O、進退窮まる。

そんな折、どんな経緯かは存じ上げぬがヒューマンデザインという学問と運命の出会いを果たした。

ヒューマンデザインについて、俺はよく知らないので説明は割愛する。

気になる人はOのnoteでも読むといい。

彼女の場合、これまで自分が感じてきた苛立ちや違和感がヒューマンデザインによって言語化されたのだろう。

人気投票が生活のベースになっている、とOは言った。

どれだけ人気になれるか、注目を集められるか、他人の意識にとらわれて肥大化したエゴが本来の自分の感性を殺すのだ。

だがヒューマンデザインは教えてくれる。私が誰かを。私は私だ。私の幸せは私の中にある。

ショーペンハウアーは「人間は孤独である限り、彼自身であり得る」と言う。

おそらく、ヒューマンデザインという客観的な指標を得たことで、Oは自分の中から父親とエゴを追い出すことに成功した。そして、彼女は彼女自身になった。

冒頭に戻ろう。

彼女はヒマラヤに村を作りたいと言った。全人類を生きやすくしたいと綴った。

アマゾネスは5年の歳月を経てマザー・テレサになった。

いや、ふり幅!まぁ、いいけどね。

なんだろ、これまで内側に向かっていたエネルギーが正しく外側に開かれたという印象を抱いた。

良かったよ、ところでどんなひとを村に呼びたいと思ってんの?

「毎朝電車で都心に向かう疲れた顔した日本人になっちゃうのかな。村では、私が通訳として彼らをサポートする」

おぉ、と思わず感嘆の声を漏らしてしまった。

俺は、Oのことを多分に誤解していたらしい。

日本が好きじゃないのかと思っていた。もう未練もなく、つながりを断とうしているのかと。

だがOはヒマラヤにも日本の社会人が帰ってこれるような村を作りたいと言う。

そこでは自分のやりたいことをして、自分が誰なのかを知ることができる。

あなたが誰かを思い出して、何が好きだったのかを思い出して、いつか村を出たとしても、好きなことを一つ持っていればその後も幸せに生きられるんじゃないかと思うんだよね、と。

日本を飛び立ち、日本語を使うなと言った彼女は、滔々と日本との繋がりを語った。

実は、Oは覚えていないかもしれないが俺はオーストラリアでOにひどく冷めた気持ちになったことがある。

金曜日の夜、安宿のガレージに若者が集まって酒を飲み楽器を鳴らし騒いでいる場で手持無沙汰になっていた時のことだ。

みんなが楽しそうにしている場で退屈そうにしていた俺に、Oがもっと楽しめよと絡んできた。

普段音楽も聴かないし、基本的に対話が好きなので、声をかき消すようなBGMやただ酔うためだけに飲む酒がどうしても好きにはなれない。
週に1度か2度はストロングゼロ買うけどね。

そんな旨の返事をした気がする。

「ふーん。じゃぁ、あんた何しにオーストラリアに来たの?つまんない男」

流れ作業のように言葉の刃を突き立ててきやがる。他人の感性をつまらないと切り捨ててしまうなんで可哀そうな女だ、と血が冷たくなった感覚を覚えている。

そんなOが、かつて切り捨てたつまらなそうに生きているひとが少しでも幸せな生き方を見つけることのできる場所を作ろうとしている。

アマゾネスは、カンボジアでキャバ嬢になり、インドでマザー・テレサになった。

そう言えば、マザー・テレサもインドで愛を説いたんだっけか。