差別意識がないという偏見

ウホウホしか書いてない某SNSを久しぶりに開いて新しくウホウホと投稿しようとしたら、昔の知人が友達かもに表示された。

念のため断っておくが、ゴリラではなく人間の知人である。

何気なく知人の過去の投稿を見ていると、こんな一文が目に飛び込んできた。

「私が歩くと多くの人に迷惑がかかる。」

書き込みをした当人のことを知らなければ、かまってちゃんのように見えたかもしれない。

上記の書き込みは同級生Tのもので、彼女は生まれつき足に障害を持っていた。

無関心の末路

2010年、内閣府が『「障害」の表記に関する検討結果について』というレポートを発足した。

障碍、障害、障がいの表記についての意見をまとめたレポートだが、じゃぁどの表記にしようか、という結論は出していない。

「障がい」という交ぜ書き表記は2000年初頭に地方自治体が始めたと言われている。

「害」という字に悪いイメージがあるからだ。

今日まで表記の統一はされていないが、NHKが2019年に1200人から回答を得た世論調査によると、「障害」表記に抵抗感がないと答えた人は81%だった。アンケート回答者のなかに、障害者手帳の持ち主は何人いたのだろうか。

※障害者手帳の表記は障「害」者らしい。

俺はというと、交ぜ書き嫌いだし言葉狩りっぽくてなんだかなぁ、と思った。一瞬だけ。

次の瞬間には思考の対象から外れていた。それくらい、関心のないことだったからだ。

今回、Tとの10年以上ぶりの会話を通して気づいたことがある。

もうすぐ三十路になるっていうのに、どうやら俺は、関心がないことと差別意識がないことを同義だと錯覚していたらしい。

昔からそうだった。同じクラスのTに対して俺は差別意識を持っていないと思い込んでいた。

Tとの思い出

記憶をさかのぼってみたところ、Tとの一番古い記憶は小学3年生の時だった。

当時のTは、車輪のついた銀色の歩行補助器を使用していた。

そして隣には、ボランティアなのかわからないがいつも介添の女性もいた。

実際に歩行補助器を使用していた期間は1年ほどだったと思うし、中学にあがってからは歩行補助器は杖に代わり、介添人はいなかったと記憶している。

「私は歩くときや階段を上り下りするときに手すりがないと危ないけど、それ以外は基本的にひとりで何でもできる」と彼女は言う。

※高校卒業後にはひとりで海外旅行もしていたとのこと。

ただ、彼女の外部にあって彼女を補助するふたつの存在のインパクトは小学生には凄まじかった。

特別親しくしたわけではないが、Tが困っている時にはすぐに助けに行かねばならないと思わされた。

あの感情は、間違いなく哀れみだった。

一方で当のTはいつもにこにこ笑っていた。会話のラリーこそほとんどなかったが、彼女は学校で暗い表情を浮かべたことがなかったのではないかと思う。

だから俺は、冒頭の彼女の書き込みにショックを受けたのだ。

常に笑顔だった彼女が傷ついていたという想定が、あの日Tの書き込みを見つけるまで全くなかった。

そんなこと彼女に話すと、Tは相変わらず笑いながら答えてくれた。

「泣いてしまうと自分の気持ちに負けてしまうから、泣かないために笑おうと決めていました。本当は、家では学校に行きたくないって言い続けていたんですよ」

周りとペースが違うから、体育の授業や運動会では見学が多かった。

みんなと同じようにできないことはわかっているが、自分のペースでやる機会そのものを奪われて悔しかったと彼女は表情を曇らせる。

「でも、覚えていますか?運動会の鼓笛隊で私、みんなの前でスピーチをしたんですよ。私にも役割があって、スピーチをやりきることができたんです。それが自信につながりました」

Tに自信を与えるのはいつも音楽だった。

中学にあがって勉強についていけず口数が少なくなったとき、ボイストレーニングに通って歌のレッスンをするようになってから自分の気持ちを口にするようになった。

「担任の先生との最初の個人面談では、何も喋れなかったんです。でも、歌のレッスンを受けるようになった後の面談では先生がびっくりするくらい話しちゃいました」

人好きのする笑顔を浮かべながら楽しそうに当時を振り返るTを前にして、俺は「おや?」と困惑していた。

俺の知っていると思い込んでいた人物像とかけ離れたものがなかったからだ。

「私が歩くと迷惑がかかる」というTの書き込みは、1年ほど前のものだった。だから当然、彼女は昔も今も障害を抱えていることで障害者特有の辛い思いをしてきたと決め込んでいた。

ところが、話し始めて40分ほど経つが、Tからそういったネガティブな話は出てこない。

ではあの書き込みは?

「私は歩くのが遅いので、駅で一部の人から早く歩け、歩き方が変、と言われて悲しかったんですよね」

その瞬間、俺は自分がTに、ないしは障害を持つすべての人に対して「健常者とは違うから、辛い思いをしているはずだ」という偏見があることを自覚した。

自分で自分をぶん殴りたくなった。

彼女の書き込みは、生活の多くの場面で他者の補助が必要になり、それに対する自己嫌悪から生まれた書き込みだと思い込んでいた。

全然違うじゃねぇか。

なにナチュラルに上からいってんだよ俺は。

相手を知る努力もしないまま、安易にわかった気になっていたんだ。だからTを哀れむ自分に何の疑問も抱いていなかった。

関心がないことと差別意識がないことがごちゃ混ぜになっていた。

「小さい時に知らないおばあちゃんに足どうしたの?ときかれて障がいがあると答えると『かわいそうに』と言われました。ショックでした。私かわいそうなの!?と思いました」

Tの声が遠く聞こえる。Tに不快な思いをさせている不特定多数のなかに間違いなく俺がいるからだ。

振り返れば、おそらくLGBTQに対しても関心がないゆえに差別していないと思い込んでいた。

口では差別意識がないと言うが、目の前でゲイカップルが接吻をしていたとして、ヘテロセクシャル(異性愛)のカップルの接吻と同じものだとはきっと思えないだろう。

これは小話だが、ゴリラ社会でも同性愛はよく見る。しかし動物園育ちのシティゴリラにはその光景を違和感なしで受け入れることは難しかった。

美ゴリラ同士ならまだマシ?それはルッキズムだ。論点が変わっちまう。

俺たちは、それが本質的であろうとなかろうと、自分ともマジョリティとも「違う」他者を共感による上書きなしでは受け入れられないんじゃなかろうか?

つまり、いつまで経っても、違いは「違い」であって、違わない点や共感できる側面を見つけることで初めて違う一点が全体の一部でしかないという見方ができる。

だってそうだろ。俺たちは大なり小なりみんな違っていて、違う他者と共存できるのは違い過ぎないからだ

だから相手が自分と違ければ違うほど、相手に関心を持って、自分との共通点を正しく知る必要がある。

眉をひそめずに、笑顔で迎える必要がある。Tのように。

恵比寿天もマンデラも、そしてTも笑った

調べてみて驚いたが、日本古事記の中にも、障害者の存在を匂わす記述がある。

イザナミとイザナギの間に生まれたヒルコは体がグニャグニャで3歳になってもまともに歩くことができず、葦の船に乗せられて海に流されたという。

ひどい話だが、続きがある。

後に、宝船に乗った七福神信仰が日本に伝わるのだが、このうちのひとりである恵比寿天こそ海に流されたヒルコだ。

恵比寿天も笑顔のイメージしかねぇな。

Tは今、専門的な事務業務を担当している。後輩もでき、仕事を教えることも増えた。

「私一人ではやり切ることが難しいので、困ったときは助けを求めています。自分が助けてもらっているので、誰かを助けるのも当たり前なんです」

やっぱりTは屈託なく笑う。
人懐っこいTの笑顔には否応なしに見るものを安心させるちからがある。

ネルソン・マンデラは、肌の色の違いによる人種差別撤廃運動のなかで、民衆に武器を手に持て、そしてそれらを海に捨てろと言った。それから、笑えと説いた。

「Appearances matter – and remember to smile.」

親子関係を選びなおすということ(後編)

絶対的に帰ることができる場所

「死ぬことができなかったのは、ここで自分が死んだら、親が可哀想だからというのもあった」

些細なことで彼氏とケンカし、何もかもが嫌になったAは衝動的に荷物をまとめ、新幹線に飛び乗って泣きながら家出した実家に向かった。

何かあったとき、家族が自分の帰る場所であることにAは疑念を抱かなかった。

なんだかんだと言いながら、最寄り駅まで母親が迎えに来てくれたのだろうか?

見知らぬ土地の、明かりのない薄暗い部屋で包丁を手首に当ててから、Aは実家でも包丁こそ持たなかったが死を考えた。

死ぬことではなく、死ぬ前にやりたいことを考えた。

海外旅行に行きたかった。知らない世界に触れたかった。

「社会人として肩書持ったまま海外に行きたいなら海外青年協力隊とか受けてみたら?

あと海外子女教員だったかな、海外の日本人学校の教師になるやつとか」

悩んでいるAに対して随分とテキトーで無責任なアドバイスをした気がする。

だがAは真に受けた。海外青年協力隊の試験に応募し、見事合格!

余談だが俺は学生の時に受けて落ちた。

Aの次なる職場としての赴任先は中米のとある国だ。治安はそこそこ悪い。

俺が行ったときは某ハンバーガー店で観光客が刺される事件とか、マフィアが病院襲撃する事件とかあった。

さて、どこの馬の骨ともわからん男のもとから無事に娘が帰ってきたと思えば、今度は治安の悪い国に行くチケットを手に入れている。

いつでも最寄り駅まで迎えに来る母親の胸中が穏やかなはずがない。

形式美の如く、猛反対され、激しい口論になったようだ。

 ここまで聞いて、率直な疑問が口に出た。

「自分のやりたいことに毎回反対する親と距離を置こうとか思わないの?しんどくならない?

俺の疑問に、Aはならないと力強く断言した。

「反対されても私が諦めないことをお母さんも学んできたみたいだし、結局最後は渋々ながらも了承して応援してくれる。

なによりも私にとって家族は絶対離れない強い絆で結ばれている。何があっても帰る場所だと思う。

今、赴任先で出会った男性と婚約してこれから結婚するけど、今後彼と作る家族への愛情よりも実の家族への愛情の方が大きい

家族を選ぶということ

NASAの提唱する家族の定義では直系家族拡大家族のふたつに分類される。

もちろん、プライオリティは直系家族に置かれる。

この直系家族のなかに両親や兄弟姉妹は含まれず、配偶者・子・子の配偶者が直系家族と見なされる。

家族とは先天的に与えられた環境のなかにあるのではなく、後天的に自らが選んだ環境のなかにある、という考え方なのだと解釈している。

 たまたま最初に与えられた環境、それこそが自分にとって揺るぎないものだと信じるAに、俺は困惑せずにはいられなかった。

選択肢を与えられることもなく、有無を言わさず生まれ落とされ、親だからという理由で行動に制限をかける。

その環境が絶対的なつながりだと、どうして言えるだろうか。

しかし、子も親を選びなおすことができるのではなかろうか、とうちの妻は言う。

生きていく過程のなかで、親が与えた教育や愛情を通じ、自分の親は尊敬に足る人物だと認識して関係を築くことは、子にもできる。

Aちゃんは、親をしっかり理解することで、嫌なところも丸ごと受け入れることを選んだんじゃないの?

パートナーと構築する家庭への愛情が血縁関係の家族ほど大きくならないと思ったのは、親ほどパートナーを理解していない不安からじゃないかな。

まだ見えていない面があるし、見せていない面があるから。そういう死角は見えないから選べないでしょ?

旧帝大卒は伊達じゃねぇ……。

そう言えばうちの妻賢かった。

常々、俺はAの母親とAの関係を理解できなかった。

だが、今なら少し理解できる。

Aは親を尊敬し、尊敬できない一面にも愛着を持ち、そのうえで今の関係でいることを選びなおしたのだ。

悪く言えば歪な関係とさえ思っていたが、単純に俺の理解が矮小だった。

 最終的にAは両親を説得して中米へと赴任し、その3か月後にコロナショックであえなく帰国。

ちゃっかり現地で新しい彼氏を見つけ、彼氏に会うため今年の春に中米に飛び立ち、めでたく婚約を結んだ。

母親のショックは計り知れなかっただろう……。

この前お母さんが珍しく婚約者のことを聞いてきて、どうしたの?て逆質問したら「もう別れたかな、と思って」とか言うの。

お母さんそういうところだよね、とAは笑いながらさらりと付け足す。

うーむ、家族ってのは複雑だね。

親子関係を選びなおすということ(前編)

大学1年の夏、リュックサックに1日分の着替えと文庫本だけ詰めて東南アジアに行ったことがある。

搭乗日の5日ぐらい前に親に「ちょっと2週間くらい外国行ってくるわ」と伝えると、「毎日連絡しなさい」と返ってきた。

当時、ガラケーだったのでネット接続の方法がわからず、結局連絡できなかった。

帰国後、特になにかを言われることもなかったので、春休みにアフリカ行って2回ほどナイフ持った男に襲われたが、その後も懲りずにあっちへフラフラこっちへフラフラ。

そんな中、旅先で出会った元看護士の30代女性に「親の理解があって良かったね。うちは親が許可してくれなくて」と言われた。

親の理解?許可?
子が旅することと親になんの関係が?

小学校の同級生であるAも親の許しが出ず、学生時代海外旅行に行けなかったうちの一人だった。

海外旅行を許さない親

一言でいえば、Aは学級委員タイプだった。
実際に学級委員だった。

小学4年生の頃、給食を食べながら「赤ちゃんのとき、ひとは誰しも純粋で可愛いのに、どうして大人になると犯罪をおかすひとがいるんだろう?」と不意にAが言い出したことを憶えている。

俺が学校にゲーム機持ち込んだのを先生にチクったことは許さんけど、おもしろいこと考えるなぁ、と安易な感想を抱いた。

Aは、教師の評判や成績もよく、地域で一番学力の高い学校に進学し、有名私学卒業後は持ち前の生真面目さを活かして営業成績トップとなり、昇給。

その彼女が、無職になり外国籍のパートナーと婚約しコロナに感染し婚約指輪をアメリカに置き忘れるとは、想像さえできなかった。

 「私も海外放浪したい!」と彼女が言い出したのは二十歳に差し掛かる直前だったと記憶している。

Aは委員長のイメージとはかけ離れて行動的な面があり、やると決めたらすぐにやる!少しでも迷いがあればすぐにやめる!猪突猛進のわりにブレーキの利きがいい。

その彼女が、憧れていた海外旅行に行かなかったのは、母親の許可が出なかったからだ。

年頃の娘がひとりで異国を旅するなんて危険極まりないと考えるのは別に変な話でもない。

だが俺は、率直に言って、Aの母親は度が過ぎていたと思っている。

大学生の時、Aと適当な居酒屋で安酒を飲んで、駅から自宅までの最終バスを逃してしまったことがある。

駅から家までは約7km。酔い覚ましも兼ねて歩いて帰るか、と2人で適当に会話をしながら家に向かった。

時刻は22時半過ぎ。家まであと20分ほどの距離に差し掛かったところで、物凄い勢いの車が俺たちを追い越し、止まった。助手席側の窓が開く。

なんだ、輩か?ナイフぐらいじゃ今更びびったりしねぇぜ。
いざとなったら近くの川に飛び込んで逃げるか。

緊張を高める俺の横でAは「あ、お母さん」と言った。

果たして車に乗っていたのは授業参観や運動会で見たかけたことがあるAの母親だった。

心配で迎えにきたらしい。門限は22時らしい。
Aには迎えに行くと連絡するわけでもなく、駅から家までの道を走って探していたらしい。

すれ違うタイミングでコンビニに入っていたら、この母親はどうしていたのだろうか?

そうか。そりゃ、この母親なら海外旅行を許してくれないだろうな、と、妙に納得した。

行動力の塊、仕事を辞める

恥ずかしながら、と鼻をかきながらAが言っていたのだが、Aの大学選びも母親が下調べをして候補を挙げていたらしい。

こう書くと、まるでAに主体性がなかったように思えるが、そうではなく、Aは自分の身を案ずる親の選択に絶大な信頼を置いていたのではないか?

だから、戸惑う俺を無視して、突如迎えに来た母親と普通に会話をしながら車に乗りこんだのではなかろうか。

あの時の居心地めちゃくちゃ悪かったなー。

そんな彼女が親の反対を振り切って「刺青は俺の誓いの証だ!」と豪語する男と付き合い、別れ、

福島で野菜育てようと奮起し、諦め、自殺を考え、仕事を投げ出し、中米でスペイン語を身につけるようになる。

 Aが仕事を辞めた経緯をざっと要約してみた。

期待のルーキーとしてバリバリ働いていたAがふと冷静になって周り見渡したとき。

高額商品を買わせて数字をあげることに夢中なタイプか、良心と会社方針の間に挟まれて消耗していくタイプしか会社には残っていないことに気が付いた。

心優しい同期は山火事から逃げる動物のように会社を去り、死んだ感情が積みあがった真っ白いオフィスで生きがいの抜け殻が働いていた。

給料は良かった。けれど、お金を稼ぐ人生を生きることはしたくなかった。

期待されているなか、どんな葛藤があって会社を辞めたのかは知らない。結果としてAは会社を辞めた。そして、両親には事後報告をした。

目標なき行動の虚無

父親の反応は、ようやく娘が独り立ちして子育てが終わったと思ったのに何故!?という戸惑いだった。

母親は……父親ほどマイナスな感情を抱いているように見えなかった。

これはあくまでも俺の邪推だが、ひょっとしたら目の届く範囲にAが戻ってきたことを喜んでいたのではないかと思う。

ところが、母親の期待とは裏腹にAは南の島で出会った決意をタトゥーに変える「うえきの法則」みたいな男を追いかけて東北で暮らすと言い出した。

当然母親は大反対、Aと衝突。しかし、社会人の年齢になり貯金もあるAの行動を、親の立場という権力だけでは止めることができなかった。

勘当騒ぎすれすれになりながらもAは24歳にして初めての家出。

アルバイトで細々と生計を立てながら、決意をタトゥーに変える男の地元で暮らし始めた。

その時のAと一度電話したことがある。

「農家を営みながら、自分の畑でとれた野菜を提供するカフェとかやってみたい」

もう完全に人生の迷子だった。当時話を聞いていて、こいつヤバいと思ったね。

だって、仕事を辞めて、ただ男を追いかけていったのにまるで最初から農家になるのが夢でした、みたいなこと言うんだぜ?

案の定、キラキラモードは長く続かなかった。

人生の目標を見失い、経済的にも厳しく、ずーっと頭のなかでお金の計算をする日々

頼りにしていたはずの彼も馬車馬の如く働き、すれ違い始める。

仕事もない、やりたいこともない、見知らぬ土地に友人はいない、大好きな彼ともうまくいかない。

気付けば、包丁を手首に当てて、死ぬことも考えていた。

後編へ続く

自己中なやつだけが他者貢献をできる

転職して半年が経過した。

正直な話、職場の先輩方とあまりにも価値観が違くて、しんどい。

ライフワークバランス重視派なんで、ソルジャーとして期待されていると言われてもモチベーションあがんねぇっすわと酒の席で話したせいか、最近さらに居心地が悪くなった気がする。

くそ、多様性を認めろよ。でも飯おごってくれてあざーっす。次は蟹食わせてくださいね、はははは。……。

あー、仕事辞めて旅人に戻りてぇな。

そう言えば、同じようなこと言ってた友人がいたなぁ。

大学時代の友人にインタビューをお願いした経緯

「俺、仕事辞めて旅人になることにしたわ!」

あっけらかんと友人のSが言い放ってから2年が経過した。

カナダでワーホリしたいと相談されたので、色々聞いた結果、バックパッカーの方がいいんじゃねぇの、と軽い気持ちでアドバイスしたら本当に仕事辞めやがった。

なにもこんなご時世に、しかも我らもう言い訳もできないアラサー世代に突入したっていうのに、どんな決断力してんだこいつ。

将来への漠然とした不安とかねぇのかよ。ていうか今仕事辞めてなにするんだよ。

「海外渡航厳しいからとりあえずYoutuberになりました☆

メンタル鋼かよ。メタリックメンタルって駄洒落みたいだね、とかどうでもいい感想が出てきた。

とりあえずSのYoutube見た。噴飯した。初めてチャンネル登録した。

https://m.youtube.com/channel/UCTdNIoha5U55PNwosK1ZvVQ

愛すべき馬鹿野郎って、こいつみたいな奴のことを言うんだろうなぁ。

仕事辞めるのいいなぁ。何を考えて仕事辞めたんだろうか。インタビューさせてもらお。

Sという自己中な男の物語

Sとの出会いは俺が海外放浪を終えて復学した直後だった。

休学明けで所属する学年が変わり、すでに人間関係ができあがっている環境に飛び込むのは気が進まない。友達100人できるかしら?

角が立たないように人畜無害を演じようと決心して教室に入った。

その教室で、夜通し酒でも飲んどんのかってテンションで騒いでいたのがSだった。そんで素面だった

彼のYoutubeを見て改めて気付いたのだが、こいつ飲酒前後でテンション変わらないんだな……。酒飲む前から摂酒したやつのテンション。

そんなSなので、打ち解けるのに大して時間はかからなかった。

Sは某うどんで有名な県の片田舎育ちで、母親から東京の話を聞き、東京に強い憧れを抱いた。

そんなわけで当然進学先には東京の大学を選び、上京。

ひとと物と情報量の多さに感激し、上京後すぐにひとりで東京観光に繰り出していたらしい。

ひとりで大はしゃぎしながら名所観光をしているSの姿が容易に想像できる。

東京を遊び歩いて1年半が経過した頃には、さすがに慣れてきたのかはしゃぐ気持ちも落ち着いてきた……そんな男ではなかった。

日本の中心を経験したし世界の中心にでも行きますか。どこだ?とりあえずアメリカか?」と、ほとんど考えなしでSは単身ニューヨークへ乗り込んだ。

そして、うどん県から上京した時以上に驚愕したという。

なにもかもが違っていた。
ここには知らないものばかりで、Sはよそ者で、若干の居心地の悪さと常識が覆される心地よさ(Sはソワソワしたと表現した)。

その快感は麻薬のように強烈だった。

異文化との交流、自分が丸裸にされたような解放感、そんなものがSを虜にした。
思えばあいつは露出狂ではないが確かに変態だった。

未知の文化に触れたいという気持ちは、就職した後も消えることはなく、唐突に「エジプト行きたいから一緒に行こう」と誘われたこともあった。

というか体のいいガイドに俺のことを使おうとしてやがった。

結局、飛行機予約直前にやつのパスポートが有効期限が切れかけていることが判明し、エジプトじゃなく一緒にラオスに行ったんだよな、懐かしい。

ふたりでゾウを怒らせてちょっと身の危険を感じたのも今となってはいい思い出だ。

さて、破天荒ではあるが根は真面目なSは希望の就職先で営業マンとして日夜仕事に打ち込みメキメキと売り上げを伸ばしていた。

上司にも「お前は営業の才能がある」と認められ、彼女との関係も良好。はたから見れば人生を満喫していたSだが、仕事に慣れた頃にふと思ったという。

仕事は他者への貢献だ。正しいギブアンドテイクの先に、他人を満足させる。そこに価値がある。

だけどちょっと待ってくれ。俺は満たされていないぞ?

ニューヨークで体験したあの目が覚めるような感動を、仕事を通して得たことがない。

俺はあの体験を思い出にしたまま、一生この仕事を続けるのか?

自分に満足できていない人間が他人を満足させることなんて出来るのか?

本当にこのまま仕事を続けていていいのか!?

Sの葛藤はアラサー世代には馴染み深いものなのではないかと思う。

自分を消費して他人に貢献する虚無を、言語化しないだけで多くのひとが感じているのではないか。

かくいう自分もそのうちの一人だ。

Sは、自分のことを自己中だと評していた。

ベクトルが自分にしか向いていないから、他者貢献をすることに疑問を抱いてしまったと。

ベクトルが自分にしか向いていないというのは、確かにそうなのだろう。だが、俺はSのことを自己中だと思ったことは一度もない。

まぁ、約束の時間に怒りにくい範囲で遅刻することや、金を持たずに飲みに来ることはあれど、少なくとも我を通す際には他人を不快にさせないように気遣いをする男だ。

もし仮にSの言葉通り、彼が「自己中」だとするならば、彼の自己の定義は他人にまで及んでいると推察する。

「バカの壁」で有名な養老孟子が日本語と英語の一人称についてこんなことを言っていた覚えがある。

曰く、英語の人称は明確だが、日本語は一人称と二人称の区別が曖昧だ。

相手のことを「てめぇ」と呼ぶが、もともとは「手前」であって、自分のことを指す。

同様に、相手を罵倒するときに言う「おのれ!」も「己」だ。一人称だ。

おそらくSの自己は親しい友人を含めた範囲の自己である。

「自」分と「おのれ」を「中」心にした自己中だ。

※補足までに、自己中を自称する人間の多くは他者に自分との同化を強要するが、Sの場合は驚くべきことに一切同化を強要しない。

SはB2Bの営業マンとして活躍していたが、エンドユーザーの声が遠いとも言っていた。

仕事を通した他者貢献の他者が自己に含まれなかったことが、Sが仕事を辞めることになった大きな要因なのではないか。

こんなふうに書くと、まるでSが仕事に失望して自由を求める考えなしのように誤解されてしまうかもしれないが、Sの本質は就活前後で何も変わっていない。

彼はずっと気の向くままに、やりたいことをやってきた。

東京に行きたいからと大学進学し、世界の中心を見たいからと英語もろくに喋れないのにニューヨークでひと夏を過ごし、自分の興味のある仕事をするために就職した。

ただ、これまでは他人が与えてくれた選択肢の中から選んでいたのが、自分で選択肢を作り出しただけの話。

Sは今、エンドユーザーの声を聴くために接客業のアルバイトに励みながら、世界遺産検定と英語の勉強に勤しんでいる。

そして、いつか海外放浪から帰国した日には、これから海外に旅立とうとする学生や社会人を支援するような仕事をしたいという。

ベンヤミン―ショーレムの往復書簡のなかに、他人を助けるためには愚か者でなければならない。愚か者の助けのみが真に助けであると説く一節があった。

無償の愛を注ぐような手助けを、俺たちは他人にしてやれない。

利害関係なんて考えたこともない愚か者にでもならなければ、真の意味で他者貢献なんてできない。

でも、自分のことなら利害なしで助けられる。

真の他者貢献は、自己中の先にしかないのかもしれない、とSの話を聞いて思った。

わかりあえなさをわかりあう

根源的なわかりあえなさ

酔いどれ詩人の肩書を持つ友人の勧めでトランスレーションズ展を観てきた。

展示会入り口の横に主催者のドミニク・チェンによる展示会の趣旨の説明がされている。

「わたしたちのコミュニケーションには、根源的な「わかりあえなさ」が横たわっています。それでも、わたしたちは互いの「言葉にできなさ」をわかりあうことはできます。

別の言い方をすれば、わたしたちがどのように自分の感覚を翻訳しようとしているのか、という過程についてもっと知ることができれば、「わかりあえなさをわかりあう」ことができるでしょう」

ドミニクの言う「根源的なわかりあえなさ」の存在を知覚していないひとと遭遇することが多くなった気がする。

自分の意見や主張を言葉にして伝えれば、わかってもらえるという思いが強いのだと推測している。

みなさん、言葉のちからを信じすぎていやしないかいと思う今日この頃だ。

言葉の強さ

三浦雅士は「孤独の発明」のなかで言語が自分さえも俯瞰する視点を与えた、と記した。

相手と自分がいるという状況を言語を持って説明するとき、自分の肉体から離れた第3の視点が必要になる。この役割を担うのが言語だ。

つまり、言語は自分が実際に目にしていないものも、言葉にすることで形作ることができてしまう。言葉とはなんてすごいのか。

だが俺は、言葉なんてものがあるから、わかりあえないのではないかと思っている。

もっと正確に言えば、言葉が通じれば気持ちが通じるという幻想に多くのひとが振り回されていると思っている。

我々は当たり前のように目に見えない気持ちを翻訳して言葉にする。そうすることでコミュニケーションを成立させてきた。

だが、自分の気持ちを100%間違いのない言葉にできたことがこれまで何度あっただろうか。

美しいものを見た時の感想を言葉にしたとして、自分の感動を一分の狂いもなく言葉で伝えることができただろうか。

また、間違った言葉にすることで気持ちや感覚が引っ張られたケースもよく見る。

「ここは今から倫理です」の25話で非常にわかりやすくまとめられているので、拝借させてもらう。

酔いどれ詩人は「言葉を尽くせ」と言っていた。思うに、そうでなければ、俺たちは言葉に騙されてしまうから。

翻訳とは何か

言葉に騙される、とは言い得て妙だ。残念ながら言葉は事実を正しく伝えることができない。

言葉が発せられるとき、それは何かが翻訳されたときだ。

 トランスレーションズ展は名前の通り「翻訳」を主軸に添えているが、その解釈は幅広い。

言葉の翻訳から、感覚の翻訳、文化の翻訳などAからBへの変換のつながりをすべて翻訳としている

例えば目の見えないひとに色を伝えるのも翻訳であり、ジェスチャーでものを表現するのも翻訳だ。

翻訳とは錦を裏側から見るようなものだと言っていたのは誰だったかな。
昔読んだ英語学習の本のどこかに書いてあって、いたく共感したことだけを憶えている。

言語を介して気持ちを翻訳するときも同じで、翻訳とは往々にしてズレが生じるものだ。

だから「エモい」って言葉を初めて知ったとき、潔さに感心してしまった。
いっそ翻訳の放棄だと思ったね。

どうせ言葉にしてしまえば事実とズレるのだから、むしろ言葉を少なくして少なくして3文字どころか0文字にしてしまうのはアリなのかもしれない。

哲学における問題をすべて解決したと豪語したウィトゲンシュタインだって言っていたじゃないか。語り得ぬものについては沈黙しなければならない、と。

まぁ、上述の内容もそうだが、俺たちはしばし日常生活のなかで言葉を信頼しすぎているのではないかと思う。

それはつまり、自分の感覚を精確に翻訳できていると疑わないからだ。

いや、初めて気づいたときには驚いたもんだけれど、俺たちって自分の感覚や気持ちでさえうまく翻訳できていないっぽいのよ。

「言葉を雑に扱うということは、世界のとらえ方が雑ということだ」と、これもウィトゲンシュタインは言ったセリフだ。うそうそ、言ったのはうちの奥さん。

適当に発言する旦那を注意するときによく使う言葉だ。

バーっと感想書いただけだから、まとめるのが難しいな……。

つまりトランスレーションズ展でどんな感想を抱いたかというと、翻訳は広い意味で弱い変換であり、翻訳を介して本質がやや捻じれていく。

それでも、俺たちは種々様々なものと翻訳を介して繋がることができるんだよね。多分に誤解を含みながら。

酔いどれ詩人は言葉を尽くせと言っていたが、やつの気持ちもわからんでもない。いや、多分誤訳しているんだけどね。

映画「望み」のナイフとチェーホフの銃

「愛する息子は、殺人犯か、被害者か、それとも―――」

雫井脩介の小説「望み」の実写映画を観た。

ここ2年ほどのなかで一番苦しくて美しい映画だと思った。

「望み」というタイトル通りのテーマとは別に、息子の立場を暗示するナイフの扱い方に感心した。

「望み」のあらすじ

 一級建築士の父親とフリー校正者の母親は、父親がデザインを手掛けた邸宅で、高一の息子と中三の娘と共に幸せに暮らしていた。
息子は怪我でサッカー部を辞めて以来遊び仲間が増え、無断外泊が多くなっていた。高校受験を控えた娘は、一流校合格を目指し、毎日塾通いに励んでいた。

冬休みのある晩、息子は家を出たきり帰らず、連絡すら途絶えてしまう。翌日、両親が警察に通報すべきか心配していると、同級生が殺害されたというニュースが流れる。
警察の調べによると、息子が事件へ関与している可能性が高いという。さらには、もう一人殺されているという噂が広がる。

父、母、妹――それぞれの<望み>が交錯する。

物語の冒頭、怪我で部活を引退して荒れた息子に父親が「サッカー以外に興味のあることはないのか?」と語りかける。

若いうちからもっと色々なものに興味を持っていればよかった、何もしなかったら何もできない大人になるだけだ。考え方次第で、未来は変えられると、半ば自分の高校時代を振り返るように父親は続ける

うるせぇ。不貞腐れている年頃の高校生に未来を語るな。聞くわけないだろ、と思わず眉をひそめた。

画面のなかで石田ゆり子演じる母親も同じように渋い顔で父親を見つめ、息子は俯いて反応を示さない。

デザイナーとして成功している父親、一流高校の入学を目指し努力する娘、順調に歩んでいる二人に対し、傍目からは停滞している息子。

この時点で家族間に明暗があることが匂わされている。

事態がきな臭くなるのは、母親が息子の部屋のごみ箱から切り出しナイフの空箱を見つけてからだ。

部活を引退し、不貞腐れ、夜間外出が増えた息子が何の目的かナイフを購入していた。文面として並べれば、不穏なものを感じずにはいられない。

結局、ナイフは父親が取り上げて事務所の工具箱にしまわれる。

その後、息子は姿をくらまし、後日、息子と夜遊びをしていたと思われる同級生が殺害されたことがニュースになる。

しかも遺体には刃物でつけられた刺し傷が……。え、これってもしかして……?

小道具としてのナイフの重い存在

映画「望み」は、息子が加害者なのか被害者なのかという点が最大のミステリー要素となっている。

加害者であっても生きていてほしいと望む母親と、兄が加害者だと困ると父親に告げる娘、そして心優しい息子が加害者なはずがないと願わずにいられない父親。

三者三様の「望み」が家族を多面的に描いた、苦しくて美しい作品だ。

しかし、注目すべきは序盤以降行方が分からない息子とナイフだと主張する。

この作品に関して言えば、息子=ナイフという図式が成り立つ。

父親によって工具箱に隠されたナイフは、いわば誰も心情がわからない息子を描写している。

息子が加害者ではないのかという噂が広まり始めた段階で、聞き取りにきた警察から息子さんがナイフのようなものを所持いていなかったかと問われる。

ナイフの有無が息子の立場を決定付けるという暗示のように思えた。

また、記者から「聞き込みによると息子さんは被害者ではなくむしろ……」と母親へ伝えるシーンと時同じくして、取り上げたはずのナイフが事務所の工具箱から消えていることに父親が気付く。

事務所のスタッフに確認したところ、息子が事件発生直前に持って行ったのを目撃していたことがわかり、ショックのあまり父親は、スタッフとの会話の途中で電話を切ってしまう。

息子が行方をくらましてから父親が工具箱を確かめなかったのは、息子への信頼があったからだ。あいつが誰かを傷つけるわけがない、その思いが工具箱から父親を遠ざからせた。

ナイフが工具箱からなくなるという発想自体がなかったのだ。

ナイフが息子なら、工具箱は父親の信頼だった。しかし、現実には息子は信頼から抜け出していた。

チェーホフの銃

※ここからネタバレ

実を言うと、切出しナイフが物語冒頭に登場した時点で、ここまでの流れは予測できていた。

小説や映画好きならおそらくご存じチェーホフの銃というやつだ。

もし第一幕から壁に銃が掛けてあると述べたなら、第二幕か第三幕で、それは必ず発砲されなければならない」という、ストーリー作成において、前段で持ち込まれたものは後段で使わなければならず、そうでないなら取り上げるべきではないというルールである。

新海誠の作品「天気の子」で物語の冒頭に銃が登場した時、美しい画面の中になんて不穏なものを出すのだと思った。

そしてやはり中盤で銃は事態を変える引き金となり、終盤ではその引き金が引かれた。

「望み」に登場する切出しナイフも役割は同じだ。息子が加害者なのではないかという疑いを決定付ける銃として冒頭から登場する。

チェーホフの銃の理論に従えば、切出しナイフは鞘から抜かれなければならない。

だから最初からこの物語は幸せな結末を迎えないし、息子はひとを刺したのだと直感していた。

息子が加害者であるという状況証拠に呆然としながら、父親は息子の部屋に足を踏み入れる。そこで、あの日自身が息子に放った言葉のメモを見つける。

何もしなければ、何もできない大人になる

届いていた……。あの日反応を示さなかった息子だが、届いていた!

だとすれば、あいつはやはり俺の知っている息子だ!

父親が息子の机をひっくり返すように引き出しを開けると、思った通り、工具箱から姿を消したナイフが出てきた。

チェーホフの銃は発砲されなかった。

「切出し、規士の机の中にあった。自分の意志でナイフを置いて行った。あいつはやっていない、加害者じゃない」

事件に関わっているが加害者ではないということは、つまり……。

果たしてナイフを見つけた時の父親の気持ちはどんなものだったのだろうか。

父親は息子にそうするように切り出しナイフを胸に抱き、そして、ある場所へ向かう。

苦しくて美しい

「望み」は非常に心を揺さぶられる作品だ。

母親として、子供が加害者だとしても生きてほしいと望み、父親は息子がひとを傷つけるはずがないと信じる。

加害者か被害者か、ということが生きているか死んでいるかに直結して扱われている点はやや納得できないが、それは些末なことだ。

観ていて、父親にも母親にも娘にも共感しながら、自分だったらどう思うのか、あるいは問題が起きる前に何ができたのかと考えさせられる。いや、悩まさせられる。

家族愛を多角的に描き、登場人物の揺れ動く心情に深い共感を持たせた、苦しくて美しい映画だった。

アマゾネス、インドでマザー・テレサになる。その前にカンボジアでキャバ嬢をやる

彼女はヒマラヤに村を作りたいと言った

高校卒業以来ほとんど交流のないOと再会したのはオーストラリアでだった。5年前の話だ。

当時旅人だった自分とOが、ワーキングホリデーで有名な地に流れ着くのは当然の帰結だった。おまけにOが住むのにいい場所を知っていると言うので、お言葉に甘えて宿も同じにした。

シドニー郊外の終着駅で久しぶりに会ったOは全身からギラギラした生命力を垂れ流し、妙に刺々しく、全然日本語でコミュニケーションとる気がなかった。

「日本出てるのに日本語話さないといけないの意味わからくない?
私、わざわざ外国に来てるのに日本人同士がつるむの見てると何しにきたの?て思う」

英語以外の言語で話したら敵とか新手のアマゾネスかよお前、と思った。

当時の彼女は少しでも敵になりそうな相手には先制攻撃のように口撃していた。

敵というか、価値観が異なったり、与えられた環境で100%の努力をしない相手に対してか。

一緒にいるの普通にしんどかったので、さっさと住む場所を変えておさらばした。

あれから、多分一度も会っていないまま5年が経過した。

そのOがヒマラヤに村を作りたいと申した。

聞くところによると、現在Oは彼氏とロシア人のカップルと4人で家を借りてヒマラヤで生活しているらしい。

経緯は気になるけどちょっと意味が分からなかったので、うんうんと相槌を打って流した。

久しぶりにまともに会話するOからは、相手を叩きのめしてやろうとか、自分の凄さを見せつけてやろうというエゴが消えていた。

私は私、あなたはあなたという自然体の態度で、俺の知っているアマゾネスはそこにいなかった。

彼女はやや複雑な家庭で育ち、父親と折り合いが悪かった。20歳を過ぎても、父親の影がいつもチラついていたと自白する。

良い父親とは言えなかった男を見返すために、完璧な自分を目指し、ひとり奮起しながら海外を飛び回っていたのだとか。

ひとが自らの強さを誇示しようとすると、周りの人間すべてが敵に見える。

誇示しなければ認知されないような強さは、相手を打ち負かしたその瞬間にしか光らない。

だから強く見せ続けるには、常に戦い続けなくてはならない。

さらに悪いことに彼女が己の強さを発揮しても、見せつけてやりたい父親は違う国にいるのだ。認知されようがない。

私は私。父親は関係がない。なのに、気付けば父親の影が自分の中にある。

Oの苛立ちが募りに募った時期と並行して、旅先での景色が色褪せて見えてきた。

どこに行っても、どこかで見たような景色。同じような生活。新鮮さがない、いや、目新しさを感じるだけの新鮮さが自分から失われている。

自分の目指した道の先に、自分の欲しいものがないかもしれない、そんな考えがOの頭を過ったのだと思う。

だからだろうか、Oは一度日本に帰国し、大阪で友人とルームシェアをして過ごした期間がある。

それからカンボジアでキャバ嬢やって、なんか違うなと思ったら、インド帰りたくなったので渡印、同時にコロナ騒ぎで国境閉鎖して出れなくなっちった、とOは笑う。

いちいち情報量多いなこいつ、と俺も引き笑い。

ともあれ、O、進退窮まる。

そんな折、どんな経緯かは存じ上げぬがヒューマンデザインという学問と運命の出会いを果たした。

ヒューマンデザインについて、俺はよく知らないので説明は割愛する。

気になる人はOのnoteでも読むといい。

彼女の場合、これまで自分が感じてきた苛立ちや違和感がヒューマンデザインによって言語化されたのだろう。

人気投票が生活のベースになっている、とOは言った。

どれだけ人気になれるか、注目を集められるか、他人の意識にとらわれて肥大化したエゴが本来の自分の感性を殺すのだ。

だがヒューマンデザインは教えてくれる。私が誰かを。私は私だ。私の幸せは私の中にある。

ショーペンハウアーは「人間は孤独である限り、彼自身であり得る」と言う。

おそらく、ヒューマンデザインという客観的な指標を得たことで、Oは自分の中から父親とエゴを追い出すことに成功した。そして、彼女は彼女自身になった。

冒頭に戻ろう。

彼女はヒマラヤに村を作りたいと言った。全人類を生きやすくしたいと綴った。

アマゾネスは5年の歳月を経てマザー・テレサになった。

いや、ふり幅!まぁ、いいけどね。

なんだろ、これまで内側に向かっていたエネルギーが正しく外側に開かれたという印象を抱いた。

良かったよ、ところでどんなひとを村に呼びたいと思ってんの?

「毎朝電車で都心に向かう疲れた顔した日本人になっちゃうのかな。村では、私が通訳として彼らをサポートする」

おぉ、と思わず感嘆の声を漏らしてしまった。

俺は、Oのことを多分に誤解していたらしい。

日本が好きじゃないのかと思っていた。もう未練もなく、つながりを断とうしているのかと。

だがOはヒマラヤにも日本の社会人が帰ってこれるような村を作りたいと言う。

そこでは自分のやりたいことをして、自分が誰なのかを知ることができる。

あなたが誰かを思い出して、何が好きだったのかを思い出して、いつか村を出たとしても、好きなことを一つ持っていればその後も幸せに生きられるんじゃないかと思うんだよね、と。

日本を飛び立ち、日本語を使うなと言った彼女は、滔々と日本との繋がりを語った。

実は、Oは覚えていないかもしれないが俺はオーストラリアでOにひどく冷めた気持ちになったことがある。

金曜日の夜、安宿のガレージに若者が集まって酒を飲み楽器を鳴らし騒いでいる場で手持無沙汰になっていた時のことだ。

みんなが楽しそうにしている場で退屈そうにしていた俺に、Oがもっと楽しめよと絡んできた。

普段音楽も聴かないし、基本的に対話が好きなので、声をかき消すようなBGMやただ酔うためだけに飲む酒がどうしても好きにはなれない。
週に1度か2度はストロングゼロ買うけどね。

そんな旨の返事をした気がする。

「ふーん。じゃぁ、あんた何しにオーストラリアに来たの?つまんない男」

流れ作業のように言葉の刃を突き立ててきやがる。他人の感性をつまらないと切り捨ててしまうなんで可哀そうな女だ、と血が冷たくなった感覚を覚えている。

そんなOが、かつて切り捨てたつまらなそうに生きているひとが少しでも幸せな生き方を見つけることのできる場所を作ろうとしている。

アマゾネスは、カンボジアでキャバ嬢になり、インドでマザー・テレサになった。

そう言えば、マザー・テレサもインドで愛を説いたんだっけか。

キャンプに行こう。仕事を忘れて

大学を卒業してから数年が経った。

皆一様に仕事に打ち込んでいるためか、久しぶりに知人友人に会うと仕事の話がメインになることが多い。

今となってはそこまでではないが、1~2年前までは「酒がまずくなるからつまらねぇ話をするな」とアグレッシブに批判していた。

他人の話を聞くのは嫌いではないし、そいつが何に興味を持っているのかを知るのは大好きだ。でも仕事の話はその限りではない。

なぜ仕事の話を好まないのか。

仕事の話をする場合、ひとは大抵、会社から与えられた役割について語っているからだ。

以前、酒の席で少年マンガよろしくこんなセリフを吐いたことがある。

「与えられた役割でお前を語るな。お前の言葉でお前を語れよ」

この言葉に俺が仕事の話を好まない理由が集約されている。

俺は、他人が自身のストーリーを語ってくれるのが好きだし、まだ知らぬ一面を話してくれる相手を愛している。

これらはあくまでも本人にしか語り得ぬ本人のアイデンティティに関わる話だ。

一方で、仕事の話というのは前述の通り会社から与えられた役割説明であり、「お前」以外からも聞ける話だ。

もちろん休日に仕事の勉強をすることは素晴らしい。残業をして仕事のクオリティを上げるそのこだわりやプロフェッショナルとしての矜持にも感嘆する。

仮に仕事の話をするならば、この辺りの話を詳しく聞かせてほしい。お前が何を思って、何を目指して、何を犠牲にして、積み重ねたものは何だったのか。

取引先の会社の名前とか福利厚生の充実とか動かした金額のでかさとか……情緒のない情報を語るために杯を交わすな

お前が誰で、何を考え、どうなりたいのかを語るのにいちいち役割を引き合いに出すな。そんな会社から与えられたバッチを磨かなくったって、俺はお前に興味があるし、お前の物語を聞きたいよ。

 例えば俺はよく「最近読んで面白かった本とか映画とかの話」を最初の話題にする。

そして、その作品についてどう感情を動かされたのか、何が一番印象的だったのか、という個人の哲学や価値観に関連する話に繋がるように誘導する。

この時に仕事関連の本を読んだという話をされると非常に手前勝手ながらマジで冷める。

だってそれは必要性に駆られたインプットであって、個人の趣味や嗜好とは関係がないだろ?

例えばビジネス書を月に3冊読む努力家がいたとして、彼ないし彼女は年間36冊の本を読む計算になるが、読書家というのは違う気がする。

自分に不足しているものを自覚して学ぶ姿勢は尊い。その人間がどのような人格であろうと、向上心のある素晴らしい人物だ(まぁ、実際はどうだか知らないが)。

だが、俺は不必要なインプットにこそ、そいつ個人の哲学や思想、嗜好が顕在化すると思うし、その類の話が大好物だ。

必要性に駆られたインプットが生活の質を維持するためのものだとすると、不必要なインプットは教養を高めるためのものだ。

利害を度外視して、ただ自分の興味を追求する。こういうやつと飲む酒は最高。

実は俺には仕事におけるアドバイザーのような友人がいるのだが、彼と仕事の話以外にも様々なことを話す。

なかでも天皇の家系図と来賓に出す料理についての話が盛り上がった。

教養の一環としてその本を読んだらしいのだが、教養を高めるためにまず天皇の内情を知ろうとしたことが面白い。

その他に、お笑いと映画に詳しい同級生や詩人の肩書を持つ友人(詩人!)、年収1000万あるのに借金の返済を後回しにするカメレオン俳優など、彼らの偏ったものの見方や言語表現が愛おしい。
ずっと一緒に酒を飲んでいたい(2/3が下戸だが)。

ディズニーファンである大学の同級生の「アナと雪の女王」におけるアナ批判も面白かった。

長くなってしまったが、要するに「与えられた役割の話じゃなくて、お前の偏見を肴に酌み交わそうぜ」ということが言いたい。

夏もようやくくたばってキャンプシーズンが到来してきた。親父の私物だが、6人分くらいのキャンプ用具が一式揃っているので、手ぶらでキャンプしに来いよ。

ビール片手に焚火を囲いながらお前の話を聞かせてくれ。
ついでにマシュマロでも焼くか?

思ったことをすぐ口にしてしまうひとの配慮と思慮のなさ

もう辞めた会社にいた新人が凄まじかった。

コロナ流行に伴い在宅勤務を中心にしていたので彼女に直接会ったのは片手で数えるほどしかないが、それでも凄まじかった。

何が凄まじいかというと、「キミ、よくその純粋さのままで四半世紀以上生き残ってこれたね」という自己中心っぷりである。

普通、20年以上も生きていればな100%自分本位に生きるのは難しい。

他人との協力なしにひとは生きることができない。

「学生」というラベルが外れた成人に周りはいつまでも見返りのない協力はしないので、遅かれ早かれ社会に出る頃には“自分本位に生きるために相手に配慮する”という処世術を身につける。

ところが、彼女は違った。

一人一宇宙の創造主であり、他人の宇宙も自分の宇宙を輝かせるためにあると疑いなく信じている。

「わたし営業担当なので書類仕事はしたくありません」と教育係に言い放ち、仕事にミスがあったと発覚すれば「完璧にやったので絶対にミスなんかありません」と渋面するドクターXのパチモン。

*書類仕事も営業の仕事範囲だし、普通にミスもしていたし、営業としての打ち合わせはしていない

すげぇぜ。天空神ばりの威風堂々。

やつら、人間との生活に関わりがなくて結果的に礼拝されないデウス・オティオースス(暇な神)だからなぁ。

その点も類似してるよ。

その他にも彼女の打ち立てた偉業が耳にはいっているが、今後関わることもないのでそこには触れないでおく。

今回引っかかっているのは事あるごとに彼女の口から出ていたある言葉だ。

「わたし思ったことはすぐ口にしちゃうんですよね」

おそらく彼女と直接知り合いでなくとも、彼女以外のひとから聞いたことのある言葉だと思う。

このセリフを吐くやつは要注意人物だ。なぜなら、基本的に思慮と配慮に欠けているひとが好んで使う言葉だからである。

第一に、思慮に欠けている理由は簡単。

外部の刺激に対して咀嚼と思考を媒介せずに反射だけで感想を述べているからだ。

物事を理解するための咀嚼と、それに対する考察(思考)をする習慣がないということが、思慮のなさを物語っている。

気心の知れた友人とのお茶会ならまだしも、ビジネスの場では歓迎されない。

会社の飲み会でも隣に座りたくないね。帰れ。

 思慮の欠如は理解してもらえたと思う。配慮の欠如はどうか。

まず「思ったことはすぐ口にしちゃうんですよね」という発言がされる経緯がどんな時だったかを思い返してみた。

「えー、なんか生地が薄くてパジャマみたいですね」
*打ち合わせがないのでスーツではなく適当な私服で会社にきた先輩に向けて

「ちょっと疲れたので、この後の説明はメモとらなくていいですか?」
*仕事についてレクチャーしていた先輩に向けて

脊髄反射で失礼な発言をした直後にこの言葉が使用される頻度が多い。
つまり、この言葉には自己弁解的な性質が含まれている。

その性質を括弧内で表現すると、以下のようになる。

「わたし、思ったことはすぐ口にしちゃうんですよね(だから、悪気があったわけではありません)

うるせぇ、ぶっ飛ばすぞ。
裏表がないことと無礼を混同視するな、ボケ。

つまり何が言いたいかというと、この言葉が使用されている時点で相手への配慮に欠けた言葉が直前で繰り出された可能性が高い。

また、常日頃この調子のやつが外部刺激に応じた脊髄反射で紡ぐ言葉に配慮があるわけがないということだ。

以上を持って、「思ったことはすぐ口にしちゃうんですよね」=思慮と配慮の欠如の証明を完了した。

会社の新人のことはよく知らないので、あくまでもこの言葉の裏にある性格の考察であることをここで断っておく。

 裏表がないことと無礼を混同視するなと前述したが、このふたつの違いも思慮と配慮の有無に起因する。

YouTube芸人のフワちゃんが全方向に対してタメ口でも芸能界の第一線で活躍しているのは、全方向に対して思慮と配慮があるからだ。

他人を貶める発言がなく、いじられても痛くない場所を絶妙なタイミングでいじり、番組全体が面白くなるために前に出過ぎない。

個人的に、フワちゃんの最も長けている能力は“全体構造の把握”だと思っている。

番組中にメタ的な発言が多いのもこれに所以する。

この天下一品の能力を持って、置かれているシチュエーションのルールを把握しつつ、そのなかで遺恨をのこさずに大騒ぎするのが上手い。

彼女の発言の数々を見れば、その発言に至るまでにどれだけの思慮と配慮を重ねているのかが見えてくる。

別にフワちゃんの知り合いでもファンでもないが、「思ったことはすぐ口にしちゃう」ということを口にしちゃうやつは全員フワちゃんのYouTubeチャンネル登録してから口を開け。

Youtubeでフワちゃん見たことないから内容知らないけど、多分思慮と配慮が読み取れるよ。きっとね。知らんけど。

薄っぺらさの裏にある哲学

不倫騒動で話題沸騰中の某芸人の食についてのブログを見た。

なんだこれは……と絶句。

元々テレビで彼が食について語るときも、「これは貴重な食材で~、シェフがミシュラン3つ星レストラン出身で~」とか希少性についてばかり触れていて、薄っぺらいコメントだなぁとは思っていた。

なので、彼自身について積極的に情報収集する気は一切なかった。

不倫騒動のネットニュースから飛んだリンク先でたまたまブログを見つけたので、少し考察してみるという経緯だ。

なぜ薄っぺらく感じるのか

 彼のブログは非常に簡素なものだ。

本人が中央に立った店の外観の写真から始まり、各コースメニューの皿の写真、申し訳程度に各メニューの名前が記載されているだけのうっっっっすい内容。

こいつ、本当に食事が好きなのか?

こんな誰でも発信できる情報をプロフェッショナルぶって堂々と発信すんなよ。お前の言葉で店を推奨する理由を書けよ。

年に500店舗近くも食べ歩いているのだから、食事が好きなのは間違いないのだろう。その点については疑わない。

なにが言いたいかというと、食の伝道者みたいな顔してるのに食への愛を感じない!

多くの皿を目の前にしたという経験の重厚さがない!

ただ店について調べればわかる情報を発信しているだけ!

このひと、どういうスタンスで食を語ってるんだ?

グルメリポーターとしてのスタンス

 つい最近、某テレビ番組で高級料理研究家とのグルメ論争が話題になっていた。

以下のようなやりとりである。

料理研究家「自分で料理しないひとが、プロの料理人の苦労を理解しているのか」

料理研究家「野球経験のない方が野球解説をしているような感じです」

某芸人「リスペクトはありますが、僕は知らなくてもいいと思っている。食べ手として出されたものを『おいしい』『おいしくない』で判断して伝えればいい」

某芸人「よく食レポでも『手間がどうとかこうとか』と挟む人がいて。それってプロの話にド素人が同じ目線で話しているのと一緒なんですよ。食レポ界でもNGだし、お店の感想でも最悪」

某芸人「これ漫才で例えるとわかりやすくて『私、家で漫才すごくやるんで、○○さんの漫才すごいですよね、あの間が』って。これって、この子は漫才なんか知らなくていいじゃないですか」

某芸人「見た漫才が『おもしろい』『おもしろくない』でいいじゃないですか。ド素人がプロに向かって『わかります、その苦労』っていうのは一番小サムいです」

たしかに作るプロではない素人が作り手側に回ってプロ目線で語るのは少し違うかもしれない。

だけど本人も言っているように食べるプロである食べ手としての意見なら言えるだろ

それは「おいしい」か「おいしくないか」という舌の表面的なものだけではない。

その皿を前にしたときに自分の感性がどう動いたのか、素材の組み合わせのどこに特徴や目新しさを感じたのかという、数多の料理を食べた人間ならではの言葉だ。

どうしてその店の皿が優れたものだと思ったのか、料理人のこだわりをどこに見出したのか、五感を駆使してリポートしろよ。食べるプロだろ。

テレビの仕事だから万人にわかるように当たり障りのないコメントをしているのかもしれないが、だとしても食への熱量を感じない。

なんだろう、この不愉快さは。

グルメ好きを裏付けるものが全く見えないのに、語る言葉だけが多い。
その薄っぺらさが鼻につくのかもしれない。

グルメリポーターのポジションとしての哲学は感じるが、彼のブログやテレビのコメントからは、グルメへの哲学は感じない。

どうしても好きを突き詰めているようには見えないんだよなぁ。

以上のような話を昼下がりのモスバーガーで奥さんとしていたのだが、

「あなたは好きには必ず理由がついていると思っているが、そうじゃないひとも沢山いる。その芸人さんは食の歴史や理論について調べたりしてないかもしれないけど、単純に食べるのが好き。それでいいじゃない」

と言われてしまった。

なるほど。納得……。

某芸人の店選びの基準

 では某芸人がなにを考えているのかを理解してみようと思い、初めてkindleを使用して書籍を購入。

アンジャッシュ○○の大人のための「いい店」選び方の極意

 まず、この本のテーマは「いい店」の選び方であり、「おいしい店」ではないことに注目。

著書曰く、いい店の基準は以下の5つである。

  1. 値段
  2. サービス
  3. 予約のとりやすさ
  4. キャッチ度

1~4番はわかるが、5番目に挙げられているキャッチ度とはなんだろうか。

キャッチ度とは、店のオリジナリティだ。

冒頭で彼の料理についてのコメントにいちゃもんをつけたが、店選びの基準にキャッチ度が挙げられているように、彼が食において「希少性」を重視していることがわかる。

著書全体を通して、料理の味についてはほとんど触れていない。店の雰囲気とその店の「ならでは感」に多くの項が割かれている。

これは実に面白いことだ。

というのも、彼のお笑いスタイルと食へのこだわりが一致しているからだ。

アンジャッシュは漫才ではなくコント師である。

コントというのは役割を決めて世界観を作り、その世界観のなかで演劇をするようなものだ。

店の雰囲気とその店の「ならでは感」に強いこだわりをみせるのはコント師として世界観を重視しているからではないか。

つまり、彼にとって食とは雰囲気とキャッチ度(特別性)が主であり、料理(味)はそれらを構成する要素のひとつに過ぎないのだろう。

こうなってくると彼への態度も変わってくる。

コメントの薄っぺらさの理由

 彼の薄っぺらいブログを見て、なんでこんなのにフォロワーが沢山つくのか理解できなかった。

だが、彼が紹介する店がことごとく悪くない店であるとしたら話は変わってくる。

年間500件の店を食べ歩く男だ。当然、よくない店にも当たっただろう。

いい店を知っているというより、悪い店をおすすめしないことが人気の秘訣なのかもしれない。

 最後に、料理へのコメントに独創性がなく面白くないと批判したがその理由についても本書では触れている。

個人的にはこの部分が一番なるほどなと思わされた。

彼は、食はえこひいきの文化だという。

飲食店も客商売である以上、当然の如くより多く金を落としてくれる客にサービスをする。

これは差別ではなく区別だ。

となると、グルメリポーターとしてもテレビで活躍していた彼にとって仕事を継続させるためにも「店に嫌われない」技術は欠かせない。

それゆえに、店への批評は控えて偏差値の高い客であることを心掛けたのだろう。

だから、独創的な意見が一切ないのか!得心である。

なんだよ、しっかり哲学あるじゃん!よく知りもしないで批判してごめんよ!

妻子持ちとしての倫理観にも哲学があれば完璧だったな!