ウホウホしか書いてない某SNSを久しぶりに開いて新しくウホウホと投稿しようとしたら、昔の知人が友達かもに表示された。
念のため断っておくが、ゴリラではなく人間の知人である。
何気なく知人の過去の投稿を見ていると、こんな一文が目に飛び込んできた。
「私が歩くと多くの人に迷惑がかかる。」
書き込みをした当人のことを知らなければ、かまってちゃんのように見えたかもしれない。
上記の書き込みは同級生Tのもので、彼女は生まれつき足に障害を持っていた。
無関心の末路
2010年、内閣府が『「障害」の表記に関する検討結果について』というレポートを発足した。
障碍、障害、障がいの表記についての意見をまとめたレポートだが、じゃぁどの表記にしようか、という結論は出していない。
「障がい」という交ぜ書き表記は2000年初頭に地方自治体が始めたと言われている。
「害」という字に悪いイメージがあるからだ。
今日まで表記の統一はされていないが、NHKが2019年に1200人から回答を得た世論調査によると、「障害」表記に抵抗感がないと答えた人は81%だった。アンケート回答者のなかに、障害者手帳の持ち主は何人いたのだろうか。
※障害者手帳の表記は障「害」者らしい。
俺はというと、交ぜ書き嫌いだし言葉狩りっぽくてなんだかなぁ、と思った。一瞬だけ。
次の瞬間には思考の対象から外れていた。それくらい、関心のないことだったからだ。
今回、Tとの10年以上ぶりの会話を通して気づいたことがある。
もうすぐ三十路になるっていうのに、どうやら俺は、関心がないことと差別意識がないことを同義だと錯覚していたらしい。
昔からそうだった。同じクラスのTに対して俺は差別意識を持っていないと思い込んでいた。
Tとの思い出
記憶をさかのぼってみたところ、Tとの一番古い記憶は小学3年生の時だった。
当時のTは、車輪のついた銀色の歩行補助器を使用していた。
そして隣には、ボランティアなのかわからないがいつも介添の女性もいた。
実際に歩行補助器を使用していた期間は1年ほどだったと思うし、中学にあがってからは歩行補助器は杖に代わり、介添人はいなかったと記憶している。
「私は歩くときや階段を上り下りするときに手すりがないと危ないけど、それ以外は基本的にひとりで何でもできる」と彼女は言う。
※高校卒業後にはひとりで海外旅行もしていたとのこと。
ただ、彼女の外部にあって彼女を補助するふたつの存在のインパクトは小学生には凄まじかった。
特別親しくしたわけではないが、Tが困っている時にはすぐに助けに行かねばならないと思わされた。
あの感情は、間違いなく哀れみだった。
一方で当のTはいつもにこにこ笑っていた。会話のラリーこそほとんどなかったが、彼女は学校で暗い表情を浮かべたことがなかったのではないかと思う。
だから俺は、冒頭の彼女の書き込みにショックを受けたのだ。
常に笑顔だった彼女が傷ついていたという想定が、あの日Tの書き込みを見つけるまで全くなかった。
そんなこと彼女に話すと、Tは相変わらず笑いながら答えてくれた。
「泣いてしまうと自分の気持ちに負けてしまうから、泣かないために笑おうと決めていました。本当は、家では学校に行きたくないって言い続けていたんですよ」
周りとペースが違うから、体育の授業や運動会では見学が多かった。
みんなと同じようにできないことはわかっているが、自分のペースでやる機会そのものを奪われて悔しかったと彼女は表情を曇らせる。
「でも、覚えていますか?運動会の鼓笛隊で私、みんなの前でスピーチをしたんですよ。私にも役割があって、スピーチをやりきることができたんです。それが自信につながりました」
Tに自信を与えるのはいつも音楽だった。
中学にあがって勉強についていけず口数が少なくなったとき、ボイストレーニングに通って歌のレッスンをするようになってから自分の気持ちを口にするようになった。
「担任の先生との最初の個人面談では、何も喋れなかったんです。でも、歌のレッスンを受けるようになった後の面談では先生がびっくりするくらい話しちゃいました」
人好きのする笑顔を浮かべながら楽しそうに当時を振り返るTを前にして、俺は「おや?」と困惑していた。
俺の知っていると思い込んでいた人物像とかけ離れたものがなかったからだ。
「私が歩くと迷惑がかかる」というTの書き込みは、1年ほど前のものだった。だから当然、彼女は昔も今も障害を抱えていることで障害者特有の辛い思いをしてきたと決め込んでいた。
ところが、話し始めて40分ほど経つが、Tからそういったネガティブな話は出てこない。
ではあの書き込みは?
「私は歩くのが遅いので、駅で一部の人から早く歩け、歩き方が変、と言われて悲しかったんですよね」
その瞬間、俺は自分がTに、ないしは障害を持つすべての人に対して「健常者とは違うから、辛い思いをしているはずだ」という偏見があることを自覚した。
自分で自分をぶん殴りたくなった。
彼女の書き込みは、生活の多くの場面で他者の補助が必要になり、それに対する自己嫌悪から生まれた書き込みだと思い込んでいた。
全然違うじゃねぇか。
なにナチュラルに上からいってんだよ俺は。
相手を知る努力もしないまま、安易にわかった気になっていたんだ。だからTを哀れむ自分に何の疑問も抱いていなかった。
関心がないことと差別意識がないことがごちゃ混ぜになっていた。
「小さい時に知らないおばあちゃんに足どうしたの?ときかれて障がいがあると答えると『かわいそうに』と言われました。ショックでした。私かわいそうなの!?と思いました」
Tの声が遠く聞こえる。Tに不快な思いをさせている不特定多数のなかに間違いなく俺がいるからだ。
振り返れば、おそらくLGBTQに対しても関心がないゆえに差別していないと思い込んでいた。
口では差別意識がないと言うが、目の前でゲイカップルが接吻をしていたとして、ヘテロセクシャル(異性愛)のカップルの接吻と同じものだとはきっと思えないだろう。
これは小話だが、ゴリラ社会でも同性愛はよく見る。しかし動物園育ちのシティゴリラにはその光景を違和感なしで受け入れることは難しかった。
美ゴリラ同士ならまだマシ?それはルッキズムだ。論点が変わっちまう。
俺たちは、それが本質的であろうとなかろうと、自分ともマジョリティとも「違う」他者を共感による上書きなしでは受け入れられないんじゃなかろうか?
つまり、いつまで経っても、違いは「違い」であって、違わない点や共感できる側面を見つけることで初めて違う一点が全体の一部でしかないという見方ができる。
だってそうだろ。俺たちは大なり小なりみんな違っていて、違う他者と共存できるのは違い過ぎないからだ。
だから相手が自分と違ければ違うほど、相手に関心を持って、自分との共通点を正しく知る必要がある。
眉をひそめずに、笑顔で迎える必要がある。Tのように。
恵比寿天もマンデラも、そしてTも笑った
調べてみて驚いたが、日本古事記の中にも、障害者の存在を匂わす記述がある。
イザナミとイザナギの間に生まれたヒルコは体がグニャグニャで3歳になってもまともに歩くことができず、葦の船に乗せられて海に流されたという。
ひどい話だが、続きがある。
後に、宝船に乗った七福神信仰が日本に伝わるのだが、このうちのひとりである恵比寿天こそ海に流されたヒルコだ。
恵比寿天も笑顔のイメージしかねぇな。
Tは今、専門的な事務業務を担当している。後輩もでき、仕事を教えることも増えた。
「私一人ではやり切ることが難しいので、困ったときは助けを求めています。自分が助けてもらっているので、誰かを助けるのも当たり前なんです」
やっぱりTは屈託なく笑う。
人懐っこいTの笑顔には否応なしに見るものを安心させるちからがある。
ネルソン・マンデラは、肌の色の違いによる人種差別撤廃運動のなかで、民衆に武器を手に持て、そしてそれらを海に捨てろと言った。それから、笑えと説いた。
「Appearances matter – and remember to smile.」