キャンプに行こう。仕事を忘れて

大学を卒業してから数年が経った。

皆一様に仕事に打ち込んでいるためか、久しぶりに知人友人に会うと仕事の話がメインになることが多い。

今となってはそこまでではないが、1~2年前までは「酒がまずくなるからつまらねぇ話をするな」とアグレッシブに批判していた。

他人の話を聞くのは嫌いではないし、そいつが何に興味を持っているのかを知るのは大好きだ。でも仕事の話はその限りではない。

なぜ仕事の話を好まないのか。

仕事の話をする場合、ひとは大抵、会社から与えられた役割について語っているからだ。

以前、酒の席で少年マンガよろしくこんなセリフを吐いたことがある。

「与えられた役割でお前を語るな。お前の言葉でお前を語れよ」

この言葉に俺が仕事の話を好まない理由が集約されている。

俺は、他人が自身のストーリーを語ってくれるのが好きだし、まだ知らぬ一面を話してくれる相手を愛している。

これらはあくまでも本人にしか語り得ぬ本人のアイデンティティに関わる話だ。

一方で、仕事の話というのは前述の通り会社から与えられた役割説明であり、「お前」以外からも聞ける話だ。

もちろん休日に仕事の勉強をすることは素晴らしい。残業をして仕事のクオリティを上げるそのこだわりやプロフェッショナルとしての矜持にも感嘆する。

仮に仕事の話をするならば、この辺りの話を詳しく聞かせてほしい。お前が何を思って、何を目指して、何を犠牲にして、積み重ねたものは何だったのか。

取引先の会社の名前とか福利厚生の充実とか動かした金額のでかさとか……情緒のない情報を語るために杯を交わすな

お前が誰で、何を考え、どうなりたいのかを語るのにいちいち役割を引き合いに出すな。そんな会社から与えられたバッチを磨かなくったって、俺はお前に興味があるし、お前の物語を聞きたいよ。

 例えば俺はよく「最近読んで面白かった本とか映画とかの話」を最初の話題にする。

そして、その作品についてどう感情を動かされたのか、何が一番印象的だったのか、という個人の哲学や価値観に関連する話に繋がるように誘導する。

この時に仕事関連の本を読んだという話をされると非常に手前勝手ながらマジで冷める。

だってそれは必要性に駆られたインプットであって、個人の趣味や嗜好とは関係がないだろ?

例えばビジネス書を月に3冊読む努力家がいたとして、彼ないし彼女は年間36冊の本を読む計算になるが、読書家というのは違う気がする。

自分に不足しているものを自覚して学ぶ姿勢は尊い。その人間がどのような人格であろうと、向上心のある素晴らしい人物だ(まぁ、実際はどうだか知らないが)。

だが、俺は不必要なインプットにこそ、そいつ個人の哲学や思想、嗜好が顕在化すると思うし、その類の話が大好物だ。

必要性に駆られたインプットが生活の質を維持するためのものだとすると、不必要なインプットは教養を高めるためのものだ。

利害を度外視して、ただ自分の興味を追求する。こういうやつと飲む酒は最高。

実は俺には仕事におけるアドバイザーのような友人がいるのだが、彼と仕事の話以外にも様々なことを話す。

なかでも天皇の家系図と来賓に出す料理についての話が盛り上がった。

教養の一環としてその本を読んだらしいのだが、教養を高めるためにまず天皇の内情を知ろうとしたことが面白い。

その他に、お笑いと映画に詳しい同級生や詩人の肩書を持つ友人(詩人!)、年収1000万あるのに借金の返済を後回しにするカメレオン俳優など、彼らの偏ったものの見方や言語表現が愛おしい。
ずっと一緒に酒を飲んでいたい(2/3が下戸だが)。

ディズニーファンである大学の同級生の「アナと雪の女王」におけるアナ批判も面白かった。

長くなってしまったが、要するに「与えられた役割の話じゃなくて、お前の偏見を肴に酌み交わそうぜ」ということが言いたい。

夏もようやくくたばってキャンプシーズンが到来してきた。親父の私物だが、6人分くらいのキャンプ用具が一式揃っているので、手ぶらでキャンプしに来いよ。

ビール片手に焚火を囲いながらお前の話を聞かせてくれ。
ついでにマシュマロでも焼くか?