独白するだけのゴリラになりたい。あと演劇を見に行きたい。
本題に入る前に確認したいのだが、アウシュビッツのホロコーストについて、学校で勉強する機会ってありましたか?
恥ずかしながら、自分は高校の授業をさぼりまくっていたタイプの人間なので、世間一般でどのくらいアウシュビッツの悲劇が認知されているのかわからない。
この件について勉強する機会をくれたのはそれこそアウシュビッツ収容所を実際に見た時だった。
各地から集められたユダヤ人が、収容直前に髪を刈られるのだが、その髪がいまでも保管されている。
数メートルあるガラスケースの中を埋め尽くす夥しい量の毛髪を見た時、思考が白く染め上げられた気がした。
虐殺の歴史を振り返ると、アウシュビッツ以上の悲劇がないこともない。
しかし、人を機械的に殺すことを目的とした施設だったという点でアウシュビッツの異質さに勝る例は虐殺史でも類を見ない。
大量虐殺を淡々と、まるで事務作業のようだったからこそ、アイヒマンのような邪悪ではない人間にも務まる仕事だったのだろう。
ちなみに、普通の感性を持った人間の多くが、ホロコーストの初期に職務を断っている。このことはクリストファー・ブラウニング著の「普通の人びと」に記されている。
読み進めるのが非常にしんどいので、内容に興味があればまずは自分に聞いてもらえばと思う。
確かな情報かは不明だが、当時の秘密警察の中にユダヤ人が存在したらしい。
このユダヤ人の秘密警察は収容されたユダヤ人に対して最も残虐だったとか…。
これが事実だとすると、秘密警察である彼は残虐性を発揮することで被害者との同一性(この場合はルーツの同一性)を否定せざるを得ない立場だったのだろう。
繋がりを切る方法
秘密警察の例は色々な見方ができる。
自分は、この例に他者との繋がりを切ることの大変さを見た。
他人と縁を切るのには時間がかかる。
20代も半ばを過ぎれば、もう数年会っていない友人知人の名前をすぐに思い出せなくなる。
これはおそらく最も一般的な繋がりが弱くなった事例だ。
中には激しい口論の末に連絡を一切とらなくなった元友人という存在もいるかもしれないが、かつての口論を思い出すことで怒りを覚えるとしたら、皮肉なことにその怒りこそが相手との縁をとりもつ楔になっている。
一度つながった縁は、結局死ぬまで会うことがなかったという時間制限によって切れるか、お互いの存在を忘却した結果が縁が切れることがあっても、個人の意思のちからで暴力的に縁を切るというのは出来ないのではないかと思う。
そしてこのことこそが、秘密警察のユダヤ人を残虐にさせた理由である。
殊更に悪かったのは、彼と被害者であるユダヤ人の繋がりは、個人的な友好関係といった類のものではなく、ユダヤ人であるナショナリズム・概念の繋がりだったことだ。
一対一の関係の縁は忘却か死によって切れるが、一対全体では圧倒的に一が不利だ。
これ以上続けるとどんどん脱線しそうなので話を戻そう。
人の繋がりは兎角丈夫で、個人的なちからで弱めるのは難しいことを論じた。
では、逆に強めるにはどうしたらいいだろうか?
強い繋がりの危うさ
基本的に我々は共有するものが多いほど繋がりを強く感じる。
最も単純に繋がりを強くするのは共に過ごすことだ。これは時間の共有を意味する。
別の方法としては秘密の共有も非常に有効な手段だ。
秘密の共有の中でも、これまで聞いた話で一番興味深かった例は長野のとある集落の話だ。
その集落では、決まった日に観覧版が回る。
ただしこの観覧版には何の情報も記載されていないし、版でもない。
火の入った鳥籠だ。
この話を聞いた時、背中の毛穴が一気に開いたのをおぼえている。
鳥籠の中の火…想像するだけである種の神秘性を感じてしまう…
鳥籠は、決まった日に集落に住む家庭に回される。
これは儀式だな、と直感でわかった。
踊りや祭典と同じ性質のものだ。つまり、場の共有で、ルールの共有で、部外者にはわからない秘密の共有だ。
着目すべきは、部外者にはわからないということである。
これは内部の結束を強める反面で、外部を疎外する機能も併せ持つ。
例えばこの集落に移住してきた家族がいたとしよう。
集落に新しい入居者がきてからはじめての鳥籠を回す日がきた。
さて、鳥籠は新参者の一家にも回るだろうか?
強い繋がりは複雑な絡み合いで構成されているため、入るにも抜けるにも文字通り一筋縄でいかない。
うまいこと言えたので、これ以上余計なことは語るまい。
では、また。