生命を救う金属

武力の象徴としての鉄

鉄、すべての金属のなかで特異的に総量の多い元素であり、地球の重量の30%を占める。
青銅製の武器をことごとく粉砕し、青銅器時代を終わらせた征服の金属。

製鉄技術を持たなかったインカ帝国は、鉄器を装備したスペイン軍の一隊によって滅ぼされた。

武力としての鉄の有用性はドイツ統一の立役者であるビスマルクの鉄血演説のなかでも強調されている。

現在の問題は演説や多数決 ―これが1848年から1849年の大きな過ちであったが― によってではなく、鉄と血によってのみ解決される。

1862年9月30日プロイセン衆議院予算委員会での演説

生涯で2000回以上浣腸をした太陽王ルイ14世が「朕は国家なり」と発言した一方で、ビスマルクは「鉄は国家なり」と考えた。
この時代、鉄は国家の土台だった。

鉄器時代到来以降、刀や槍の原料として用いられた鉄は、近代戦争においてさらに必要性を増していく。

近代戦争では巨大戦艦と大砲が主力となり、その脅威から兵士を守る鉄兜が大量生産され、戦争は鉄と鉄の戦いとなっていった。

鉄の歴史は製鉄炉の歴史

製鉄技術が武力をそのまま表すとすれば、鉄の発展は人類の発展に直結する

金やプラチナとちがって鉄は希少性も低く、ごく一部の地域を除けば世界中どこでも入手することが可能だ。

インカ帝国などの特定の地域で製鉄技術が発展しなかった理由はなんだろうか。

「銃・病原菌・鉄」の著者ジャレド・ダイアモンドによると、食料の過剰生産ができず、技術者を育成する余裕がなかったことが金属加工技術の格差をつくった原因である。

製鉄技術が文明の発展に及ぼした影響を調べようとすると、どうしても製鉄炉の変遷に行きつく。

おかげさまで製鉄炉の仕組みと作り方を学ぶことになったが、どう料理しても面白おかしく伝えることができない……。
というか、どの本読んでも半分以上(ひどいと8割)は製鉄炉についてだった。

製鉄炉は、鉄鉱石を燃やす炉である。なんの意外性もない。

鉄の融点は1536℃なので、製鉄炉の変遷とは炉内の温度をいかに高くして、連続生産を可能な構造にするための工夫である。

炉内を高温に熱して、鉄鉱石から鉄以外の不純物を取り除き、純度の高い鉄を生産する。
ところが、純粋な鉄(純鉄)は軟らかいため、純鉄を作るのは製鉄炉の役割ではない。

製鉄炉の役割はをつくることにある。
鋼とは、炭素含有量が2%以下の鉄を示す。

鋼のなかでも炭素の含有量によって名称が異なり……いや、製鉄炉の話はこのあたりで終わりにしよう。
興味を持ってもらえるよう伝える技術が足りない。
そのうち友人を巻き込んで製鉄炉を自作してみるのでそのときにまたブログに詳細を書こうと思う。

とにかく、製鉄炉で鉄を溶かすのは鉄鉱石から不純物を取り除くためだということだけ知ってもらえればよい。

「悪金」と呼ばれた鉄

純粋な鉄を溶かすために必要な温度は1500℃以上。
製鉄炉内で、鉄鉱石が1500℃まで温まるまでに(ここまでくると温まるというには違和感があるが)、鉄鉱石に含まれた不純物は融点の違いから鉄より先に溶けるか気体になる。

製鉄過程において鉄の最大の不純物は酸素だ。
鉄の原料である鉄鉱石はいわば酸化鉄である。

酸素が金属に結び付く酸化現象を、我々は「錆びる」という。

塗料の下からのぞく錆

錆びた鉄を見たことがないというひとは珍しいのではないか。
小学校の校庭で遊具を使用したことがあれば必ずといってもいいほど、酸化した鉄製の遊具と接する。

そして、われわれは錆びた遊具を見るなどして、普段の生活のなかで鉄は錆びやすい金属であるということを学ぶ。

鉄から酸素を取り除く技術が発達していない時代、鉄はすぐに脆くなるため中国では「悪金」と呼ばれて、青銅(美金)と区別されていた。

ちなみに酸化鉄から酸素を取り除くために必要な温度が400~800℃であり、青銅(銅と錫の合金)の融点は700℃程である。
どちらの金属がより簡単に扱えるかは明らかだ。

事実、青銅器は現代でもきれいな形で遺っているが、鉄器は遺っていても酸化してぼろぼろになっている。

比較的きれいな状態で保管されていてもぼろぼろな鉄器

いや、ちょっと待て。インドに1500年以上前につくられた錆びない鉄塔があると聞いたことがある。
あれはたしか、不純物の無い純粋な鉄でできているから錆びないのではなかったか。

チャンドラバルマンの鉄塔

この鉄塔の成分を調べたところ99.72%が鉄で出来ていることがわかっている。
残念ながらこの程度の純鉄であれば簡単に作れるし、50年ほど雨ざらせば錆びてしまう。
純鉄だから錆びないというのは迷信だ。

インドの鉄塔が1500年以上錆びない理由は表面がリン酸化合物でコーティングされているからだとか諸説あるが真実はわかっていない。

物質は与えられた条件下でもっとも安定した形をとろうとする。
つまり、鉄は酸化することで安定するのであり、このため銅や銀のように自然銅・自然銀と呼ばれるような自然鉄というものは存在しない。

人体のなかの鉄

突然だが、あなたは何分くらい水中に潜れるだろうか?
5分?素晴らしい記録だ。

ギネス記録を見るとどうだろう。驚くことなかれ、なんと24分3秒だ!
*Youtubeで動画をみることができる24分間ずっと潜っているだけで起承転結をぶん投げたクレイジーな動画だ。

なぜわれわれは水中に長時間潜ることができないか。酸素がないからだ。

地上にいる時、われわれは口と鼻をつかって酸素を取り込む。取り込んだ酸素は肺から全身に運搬される。

このとき、酸素の運搬を助けるのが鉄だ。

血中にはヘモグロビンという鉄分子を含んだタンパク質が存在する。
ヘモグロビンは、酸素と結びつきやすいという鉄の性質を活かし、肺で酸素と結合し全身に酸素を運搬する。

ヘモグロビンの量が少ないと、全身に供給される酸素量も減少するのでめまいや立ちくらみを起こしやすくなる。
この症状を貧血という

鉄がいかに人体に必要不可欠なものか理解してもらえただろうか。

悪金と呼ばれた鉄は、その悪名の云われとなった性質を利用して人体で大活躍している。

酸化しやすいという短所を克服する技術としての製鉄、短所を利用したヘモグロビン。
役に立てない環境はあっても、役に立たないものはないのだ。

では、また…と締めくくりたいところだが、せっかくなのでヘモグロビンの特性と、とんでも医療についても少しだけ触れたい。

鉄は錆びると赤くなる。(錆び方には2種類あるが、ここでは赤錆についてのみ書く)

酸素と結びついたヘモグロビンは赤くなるため、動脈の血(全身に酸素を運搬中)は赤く、静脈の血(運搬が終わったので肺に帰宅中)は黒い。

ちまたでは静脈から抜いた血液にオゾン(酸素)を注入して赤くした血をまた体内に戻す血液クレンジングとかいう世にも奇妙な医療が一瞬だけ話題になっていたが、上記の仕組みを理解していればこの医療に金を払うのがいかに馬鹿げているかわかる。

普通に呼吸していれば血液クレンジングだ。
とは言え、目の前で自分のどす黒い血が鮮やかな赤に変わっていく様子を見れば非常に良い医療のように感じてしまうのもわからなくはない。

では、また。