他人への怒り、裏にある嫉妬

関係のない相手に怒るひとの正体

喜怒哀楽の喜びと楽しみの区別難しくね?
その点、怒りってすげーよな、あのひと怒ってるよってすぐにわかる感情だもん。

どういうときに怒るのかによってそのひとの本質がわかるってゴン先生は言っていたけど、正確にはミトおばさんが言っていたらしいけど、いつだってひとが怒るのは自分に関係のあることがらに対してだけだ

他人から侮辱される、お気に入りのスニーカーを踏まれる、自分の親しい人の悪口を言われる。

ところが、一見自分に関係ないことで怒っているひともいる。

電車の中で化粧する女性に憤るひと、不倫をする芸能人を親の仇のごとく中傷するひと、ひどいときは働かない働きアリにまで腹を立てるひとがいる。

どうして自分に関係のないことでもひとは怒りを覚えるのだろうか。

自分が直接被害を受けていないのに他人に対して覚える怒りの正体、それは嫉妬だ。

明記する必要がある。
自分に関係のないことで怒るひとはいない。怒っているとするならば、それは自分に関係あるからだ。

われわれホモ・サピエンスは社会的生物だ。社会的生物には規律が必要である。

ご存知の通り、われわれの社会は常に明記された規律があるわけではない。
そのようなときは、その場において○○してはいけない、△△するべきであるという暗黙の了解がある。

この暗黙の了解に従わなくとも法的に罰されるわけではないが、ついついこの未表記のルールに従ってしまう。

そのすぐ横でこの暗黙の了解を無視するひとがいたとしたら、「え、なんで?信じられない」とか思うんじゃないだろうか。

ほら、文化祭の準備で積極的に手伝わないやつとかいただろ?
みんな結構文句言っていたってあとから聞いたよ。あの時はごめんね。

でも君たちが怒っていたのはさぼっていた俺に対してではなくて、頑張らなくてもいい俺に対する嫉妬だよ。

つまり関係のない他人に怒るのは、自分が守っているルールを破るひとに対する嫉妬からなんだ。

ルールを守るために進化してきたホモ・サピエンス

ルールを守らないひとに対してわれわれは厳しい態度をとる。なぜなら、ルールがなければ集団生活は成立しないからだ。

シロナガスクジラやヒグマとちがって、生きるために群れをなすことを選んだわれわれはそのように進化してきた

「そのように」とはどのようにか、家畜動物との共通点から理解できる。

豚や馬、牛や犬などの家畜が原種と比較すると脳が小さくなっていることをご存知だろうか?

そう、勘のいいあなたなら気が付いただろう。「そのように」とは、集団生活を行うために脳が小さくなる進化をしてきたということだ。

化石を調査すると、家畜化した動物は必ず脳が小さくなっていることがわかる。
犬と狼では30%ほど脳の容量が違う。

脳の縮小にともない、原種に比べて攻撃性が弱く、穏やかになり、社会性が高くなる。

ジャレド・ダイアモンドによると、家畜とは人間によって食料や交配をコントロールされたことで品種改良の過程を経た動物である。

このため、攻撃性の強い横暴な家畜は、他の家畜に悪影響を与えかねないので間引きされる。

そしてこの間引きは社会的生物であるホモ・サピエンスにもあてはまることだ。死刑や刑務所がいい例である。

興味深いことに、脳の容量が縮小しているというのは人間が自らを家畜化していると言えるわけだ。

つまり、われわれは横暴な個体を間引いて脳を縮小することによって、規律を守るように進化してきた。

この進化はあくまでも集団で生き抜くためであり、個が気持ちよく生きるためではない。

集団を優先すると、当然個の欲望を抑制しなければいけないときが来る。
文化祭の準備をサボらなければもう少しクラスに馴染めてたのかな……。

やりたくないことをやる、もしくは、やりたいことをやらない。
自分が我慢している隣で他人が我慢していない様を見たら、そりゃ嫉妬するし怒るわな。

でももっと寛容になろうぜ。嫉妬で怒るのはなんか無駄に労力かかる気しない?
肩のちからを抜いて文化祭の準備をサボるやつを笑って許してやろうぜ。